家を出ることになったきっかけ
別居のいろいろを語るに当たって、パートナーについて語ることは避けて通れないことだと思います。
ただ彼の悪口を連ねたいわけではないので、そこは私自身気をつけなければいけませんね。
パートナーとのなれそめはお見合いです。母が結婚させようと自分の友人らに声を掛けて、釣書を渡したのがきっかけだったと記憶してます。私当時結婚願望ありましたし、実家を出たい気持ちもあったので実現した縁談だと分析しています。
彼の特徴を、今はひとつだけ挙げておきます。
それは高学歴であることにとてもこだわりを持っている人だということです。
確かに脳というものは使えば使うほど良いでしょう。昨今の脳トレなんか大好きです。そういった意味での学歴は私も素敵だなぁと思うのですが、彼の感覚はちょっと違うのです。
学歴、権威のない者人に非ず。
ひどいですよね。だから自分以外皆能無しに見えるみたいです。日常の家事一つ一つにしても、自分のやり方(テレビ信奉者なので、テレビでやってた方法なんかを試したがる傾向がありましたね)の方が優れていると思っちゃうのです。
百歩譲って、この厳しい社会で働くにはそれくらい必要なのかと考えようとしましても、どうにも認められない状況が発生しまして、私、家を出る決心を固めました。
それは末っ子の進路についての考え方の相違です。
3人の子供達は有り難いことに希望の分野に進むことが出来たのですが、末っ子が今後就職するか、進学するかどうかの選択において我が家の経済状態から就職一択が私の考えでした。
高学歴とは言ってもサラリーマンの収入など知れたもので、子供達の学費も学費ローンや、私の実家を売却した資金を使って何とか捻出していたからです。
それなのに彼は当然進学すべきと自論を展開してきました。
そしてもう学費を払う余裕が無いことを話すと、
「何に使った!」 と言い放ちました。
いやもう は~????!!!!ですよ。
確かにダンス(グループレッスン)やヨガのレッスンには通わせてもらってたけど、余裕が出てDIYの道具を買いたい時はちゃんとしたものを買わせてもらってたけど、350円に割引きされたのスカートに同じく500円に割り引かれたシャツで学校の役員会に出ていた私の節約には何にも気づいていないんだと、崩れ落ちる感覚でした。
ダンスのお友達から練習着をたくさんいただいたのを、購入したと思い込んで発言したらしいです。
このままこの人といても老後の生活は成り立たない
自分一人でくらしても同じ苦労なら一人になりたい
強く思うようになりました。
家事にしても何にしても、自分のほうが優秀な成果を出せると思っている人ですから、別に私がいなくても困っていないのです。今も若い頃できなかったプラモデル作りが空いたスペースで出来るようになったと喜んでいます。ただ、家を購入するにあたって、家計に貸していた私の実家を売った資金を返して貰うのに、ちょっとバトリましたけどね。
まぁその辺はおいおい話していけたらいいと思います。
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