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団野村さんの気持ち

会社経営の傍ら、心理カウンセリング・コンサルタント講演・コンプライアンスに基づく講義なども行っています、りゅうこころです。ryukokoro

ご遺体をSNSでアップ

伝説の三冠王、野村克也さん(享年84)がお亡くなりになりました。名指揮官といわれ自身も三度の三冠王を取るほど、キャッチャーとしては素晴らしい功績の持ち主で、プロ野球界ではまさに宝でした。葬儀の際に棺の中で安らかに安置されている故野村氏を、義理の息子であるだ団野村氏がTwitterにアップした事が世間を騒がせています。世間の気持ちは置いておいて、アップされた団さんの気持ちはどのようなものだったのか。

安らかで笑っているようだ

「非常に安らかで笑っている様な表情でした、是非皆さんにも見て欲しかった」というのが団さんのご意見だったようです。多くの人に親しまれた名将野村監督の最後の雄姿をお披露目したかったというご遺族感情であり、いたずら目的や晒す目的ではなかったことはよくわかりました。

ご遺体を公開する

私は法律家ではないので「ご遺体を不特定多数の人に公表する」ということが、『身内では許されるのか?』『ご遺体に肖像権は?』などに触れる事は控えますが、人間の本質的な心の部分として考えると『如何に英雄であってもご遺体を見るのはちょっと・・・』という方と『ノムさんの安らかな表情を見られて幸せだった』と二極化しているのは確かです。

事件や事故

災害や事件・事故の時にはまるで『撮ってアップしなきゃ損』みたいに携帯を構える人達が、英雄の綺麗な最後の雄姿にヤイヤイ言っている風潮が私にはとてつもなく不快なのです。肉塊だったら許されるのでしょうか?確かに運営側から削除されてしまうでしょうけれども、それを「不特定多数の人間に見せてやろうというソーシャルテロ」が許せないのです。また、これらの心理が普通になってしまっている事に危機感を感じえません。

見る側のモラル

『Twitterで見たくないものを見てしまって、トラウマになった』というご相談を戴く事もあります。もちろん日常生活の中でトラウマになるような現場に出くわしてしまう事はあるでしょう。でも、TwitterというSNSは見ようと思わなければ別に見なくてもいいわけで、(別にSNSを批判している訳ではないです)日常で悲惨な現場に出くわしてしまう確率からすれば、興味を持って見ているSNSの中で見たくないものに出会ってしまうという事は、「初めからその覚悟が無いのなら見なければいい」と私は思うのです。

非常に安易な発想

アップする方も見る側も、覚悟が足りなすぎると思います。有益無害な情報を拡散する分には誰も傷つかず「ふーん」で終わるから問題にもなりませんが、無害でない可能性のある画像はアップするSNSテロを起こす人間が居る以上、見えてしまい記憶に残ってしまうのです。

まとめ

もちろんSNSテロを企てる方が悪い、でも見るのなら「そういう可能性もありますよ」という心構えで見ないと、常にかわいいワンちゃんばかり出てくるとは限りません。閲覧側もそれなりの覚悟を以て閲覧して戴きたいと感じました。

りゅうこころでした。ryukokoro

重度のうつ病を経験し、立ち直った今発信できることがあります。サポートして戴けましたら子供達の育成に使わせていただきます。どうぞよろしくお願い致します。