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許すということ

会社経営の傍ら、心理カウンセリング・コンサルタント講演・コンプライアンスに基づく講義なども行っています、りゅうこころです。ryukokoro

許すとは

許すって、相手の行為や思いを受け止め、受け入れる事だと思うのです。怒らずに受け入れる事。すごく難しい事だと思われているのですが、実はこれ、自分の中の尺度の問題だって気付いている人はすごく少ないのです。みんな「相手が悪い」って思ってしまっているのですが、違います。貴方の心の器、心のありようが相手を許さないだけなのです。

心のありようとは

自分だと許してしまうのに人彼されると許せない。こういうことありますよね。「自分には甘い」とかいわれますけれど、その通りです。言い換えれば「自分の行為によって自分に降りかかる火の粉は避けようと思えば避けられるけれども、他人が降らせてくる火の粉は自分の意志では避けられないから頭にくる」という事なのです。でも自分に甘い事って、他人を許す心があれば悪い事では無いのですよ。

心の見えない器

なんだか宗教染みた書き方になってしまいますが、人それぞれ「心の器」というのがあるんだと私は思っています。その器がいっぱいになってあふれ出した時、人は他人に優しくなれるのだと。逆に自分の器を空っぽにして他人に八つ当たりする事は簡単です、嫌われるだけですけどね。私は他人から機われるのが一番怖いのです、だから「自分に厳しく他人に優しく」を心掛けています。自分に厳しい分には誰にも文句を言われないのです、心の中の事だから。でも他人に優しくするのって、より自分に厳しくないとできない事なんです。

ではそんな事何でするの?

他人に優しく自分に厳しくしていると、優しさって帰ってくるんです。見返りを求めたらだめですよ、それは優しさでも何でもないですから。単純に純粋に「人を憂う」んです。簡単です、特別な事をする必要は無いのです。ただ「思いやりを持って接する」これだけでいいんです。心の器の大きさって人それぞれ違うと思うのですが、求めずに与え続けてその器がいっぱいになって溢れた時、ちゃんと自分に帰ってくるのです。くれぐれも求めてはいけません。

何で求めてはいけないの?

優しさって、無償の愛情の事を指します。「席を譲ってくれた」とか「おかえり」と言って貰えたとか些細なものから、「この世に産んでもらえた」とか「自分は生かしてもらっているんだ」とかスケールの大きなものまで感じ方は人それぞれですが、与えられる優しさは「貰って当たり前の物」「ではなく、「自分が歩んできた奇跡に対するご褒美」なのです。自分から与えようとせず、ご褒美を強請るようでは帰ってくるのは嫉妬とか妬みになってしまいます。

自分に対する言い訳

そしてこれらの悪循環にはまってしまうと、人を憂う事が出来なくなり、逆に恨んだり妬んだり嫉妬したりするようになってしまいます。自分の心の器に穴をあけてしまっている状態ですね。これでは溢れるどころか漏れていくばかりです。そして自分で穴を空けているのにも拘らず他人のせいにしたり社会のせいにしたりして、結果自分を追い込んでしまうのです。

心のゆとり

心のゆとりは人に造ってもらうものでも貰えるものでもありません。自分の機嫌は自分で取る、自分がニコニコしていれば周囲もおのずとニコニコしてくれます。心理学の世界では心が風邪をひてしまっている人に「頑張れ」と言ってはいけないという表層的な言い回しがありますが、私のカウンセリングでは上記を説明した上で敢えて言います。

「一緒にがんばろう」

りゅうこころでした。ryukokoro

重度のうつ病を経験し、立ち直った今発信できることがあります。サポートして戴けましたら子供達の育成に使わせていただきます。どうぞよろしくお願い致します。