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僕の大切にしている考え方に

表裏一体というものがある

僕は具体と抽象を行ったり来たりしていて

具体的な何かを抽象化すれば

全てに行きつく



僕の中で愛の抽象度を一つ下げれば

全ては表裏一体であるという心のあり方である


またこれをイメージで表すと


計測不能の
限りなく円に近い
楕円のようなものである


そして平面か、立体か、充満か虚無か、深さ、
密度、色彩そのどれも判断するのが困難だ


さらに抽象度を下げて具体的にいうと


自分を愛することができないのなら
人を愛することもできない


言い換えると


人を愛することができなければ
自分を愛することもできない


さらにいうと相手の仕草、態度、表情などの非言語コミュニケーション、作り笑い、苦笑いの一つさえも自分の心の鏡だといえる


僕を含め人は価値観、考え方の違いや常識、先入観、偏見の入ったその人のメガネで世界を見る



そして



価値観や考え方の違いについて議論をしていると否定された気になって自己防衛にはしったり、相手を攻撃し自分のメガネを相手にかけさせようとする時がある


僕はそれ自体が良いか悪いかで判断するのではなくただそこに対してプラスとマイナスを内包した絶対値のエネルギー(愛)が働いていること自体が美しいと思いたい


とかく人(僕)は愛に飢えていると思う


もちろん愛にもプラス(無条件の愛)、マイナス(条件付きの愛)がありさらに捉え方(価値観、考え方)次第でそのプラスの愛がマイナスになったり、マイナスの愛がプラスになったりする



同じだから違くて
違うから同じで


正しいから間違っているし
間違っているから正しい


感じていることだけしか感じていないし
感じていないことを感じている


内面(なかみ)の外側は外面(見た目)で
外面(見た目)の内側は内面(なかみ)である


完全(完璧)だから完全じゃないし
完全(完璧)じゃないから完全だ


陰があるから陽がるし
陽があるから陰がある


絶対だから相対だし
相対だから絶対で


無自体が存在するから
存在自体が無にもなる


幸せだから幸せじゃなくなるし
幸せじゃないから幸せにもなる


自分(の幸せ)であるから他の人(の幸せ)で
他の人であるから自分であるし


恋人だから友人で
友人だから恋人でもある


愛したいから愛したくないし
愛したくないから愛している




そんな世界は鮮明だから曖昧で

曖昧だから鮮明だ。




僕の中では

自分を愛することが
他の人を愛することで


相手を受け入れることが
自分を受け入れることで


自分を知ることが
相手を知ることで


相手を理解することが
自分を理解することだ




僕の中では


知りたいから愛したいのではなく

愛したいから知りたいのである




この人生の哲学は自分にとって美しいし
長続きしない僕にとって
ずっと続けてることの一つ。




自分のことはそんなに愛せてないし

自分に大して自信があるわけでもないが

そんな自分が死ぬほど悔しいからこそ

受け止めて愛してあげたいなと思う。






届け〜、ちょっとくらいは。








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