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お金を払い、瞑想してみてわかったこと ⑤ ~最終回、その答え

 さて、長々と書いたシリーズもようやく最終回。ELM瞑想で感じた様々な違和感のヒントとなるのが「他者とのバウンダリー(境界線)」であると考えたまでが前回までの記事です。今回はその理由についてお話ししましょう。

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バウンダリーが引けないとモラルが低くなりがち


 シリーズの③で指摘した、瞑想を誰よりもタップリとして、カルマを誰よりも放出しているはずの瞑想教師で、モラルが低くておかしな人がいるという話をしました。

 普通に考えると意味が分からないし、そういう人もいるよねという程度で終わっちゃうのですが、これ実はバウンダリーという視点から考えるとすぐに理解が出来ます。

 世の中にある法律とか規範って他者と自分のバウンダリーをベースに考えられているのがほとんどです。例えば、許可なく他人の土地・住居というバウンダリーを超えて侵入すれば住居不法侵入罪になりますし、相手の肉体のバウンダリーを許可なく超えて踏みにじれば、殺人や傷害、性犯罪になります。逆に相手の心のバウンダリーを超えてズカズカと踏み込めば侮辱罪やパワハラ等のハラスメントになります。

 つまり、大抵の犯罪やよろしくないとされていることというのは、実はバウンダリーを認識できていないことから生じるのです。

 さすがに、瞑想教師で殺人・窃盗レベルの人は聞いたことがありませんが、ハラスメント系は聞いたことがあります。これはELM瞑想に限ったことではなく、割とスピリチュアル系ではそういうハラスメント系の話を耳にすることが多いのではないでしょうか?つまり、バウンダリーが甘い人がこの世界には多いのかもしれません。

 ちなみにスピリチュアル能力が高くて霊が見えるというのも、ある意味ではあの世とこの世の「バウンダリー」が引けないことによる副産物と言えるかもしれません。「霊能力(スピリチュアルパワー)と人格は比例しない」とか聞いたことがある人かもしれませんが、このバウンダリーの観点から考えれば、スピリチュアル能力が高い→バウンダリーが引けない→モラルが低くなりがちという式が成り立つからかもしれません。

 ただし、注意してほしいのはバウンダリーを引けない人やスピリチュアル系の人全員が犯罪者やその予備軍であるという意味ではありません。「AだからBである」というのが成り立つからと言って、その逆の「BだからAである」というのは必ずしも成り立ちません。例えば「この男の子の名前は太郎君である」というのがあったときに「じゃあ、全ての男の子は太郎君なのか??」などと誰かが嚙みついてきたら、「コイツ頭おかしいな、メンドクセ!」と思うじゃないですか?

 それと一緒で、「モラルの低い人はバウンダリーが引けない人である」というのは成り立つけども逆に「バウンダリーが低い人間は全てモラルが低い」とは言えません。その点はご注意ください。

バウンダリーの低さが人生に過酷さと困難をもたらす


 さて、モラル面以外にもバウンダリーの低さはこんなところにも人生に影を落とします。このシリーズの③で書いたある女性の話を覚えていますでしょうか?瞑想教師になって沢山カルマを解放し、元気を取り戻したのにも関わらず、また新しいことに挑戦した際にボロボロになってしまった方の話です。

 彼女の事例もバウンダリーという視点からこの問題を説明できます。ちなみに彼女とは知り合いですし、彼女の名誉のために断っておきますが、彼女は決してモラル面に問題のある方ではありませんので悪しからず。

 話を戻すと、実はバウンダリーというのは境界線なわけですから、相手からの悪影響(カルマ)から守るシールド的な役割を果たすので、バウンダリーが引けないというのは時に人生に過酷さと困難をもたらします。

 悪いカルマがこの3次元意識上に投影されることで災難が起こり、そのカルマをあらかじめ浄化する作用があるというのがこのELM瞑想であるという話はしましたよね?バウンダリーが引けないと瞑想で浄化しても浄化しても世界に存在するカルマを吸収して引き受けてしまいます。そうなると当然自分の人生に沢山の困難が訪れてしまいます。船に穴が開いていたら、いくら海水を汲み出しても船に海水が入ってくるようなものですね。

 またバウンダリーが引けず自他の区別が曖昧だと、それだけ自己の確立というのが出来ず、ある種のアイデンティティの喪失状態に陥ります。時々、学歴や地位を自慢してくる人間っていますが、これも自分のアイデンティティが確立できておらず、根無し草のような自らの不安をごまかすため、地位や学歴と自己を同化させるのが原因です。

 本当は自分と地位や学歴は別物で、同一化するものではないのですが、自他の区別やバウンダリーが曖昧だとこうなるのですね。ただ、まだこうやって自慢できる何かがあるなら幸せな方で、バウンダリーを引けないのにこういった地位や学歴のような誇れるものを手にすることが出来なかった人は、無意識レベルで人生に波乱や困難を望むようになる可能性があります

 なぜなら自分という感覚が希薄であるため、波乱や困難に囲まれることにより自分が生きているような手ごたえが得られるうえに、「こんな凄まじい体験をしているそこらの他人とは違う凄い自分」というように自分と苦しい体験を同一化させてしまう恐れがあるのです。

 やっかいなのは、無意識レベルで起こることなので本人は到底そんなことは考えているつもりはないのに、知らず知らずのうちに蝕まれる恐ろしさがあるのです。さらに、現在進行形で困難や波乱に悩まされるだけでなく、過去にあった辛い出来事やトラウマもバウンダリーが弱い人は手放すことが困難になります。

 なぜなら、未確立の自己の存在意義の証明のため、「あんな辛い体験をした自分」という過去の辛い体験との無意識の同化が起こってしまうからです。自分が意識できる領域では「トラウマを手放したい」と願っても、無意識下では辛かった出来事と自分が同化していて、「これを手放してしまえば自分が無くなってしまう」と思っているので、どうしても手放せなくなってしまうのですね。

 というわけで、バウンダリーが弱いと外からカルマがジャンジャン流入してくるのに、逆に放出や手放しは困難となり、結果として人生が非常に苦しいものとなってしまうのです。

 ちなみに、バウンダリー構築に難を抱える原因は、大抵相手のバウンダリーを踏みにじる毒親育ちであったり、他にも性被害などでバウンダリーを踏みにじられたことによって生じることが多いです。

ELM瞑想でバウンダリーは引けるようにならない
 まとめると、ELM瞑想でカルマが取れてどんどん人生が良くなるはずなのにそうじゃないというのは、「ELM瞑想では確かにカルマは除去できるが、バウンダリーを作り上げる力は無いため、バウンダリーの弱い人は浄化後であっても新たに外からのカルマの侵入を許してしまうから。そして、とりわけバウンダリーが元々弱い人というのが、この問題に引っかかってしまう」というのが答えです。

 厄介なことに、ELM瞑想のマントラで到達できるのは純粋意識とか空(くう)とかゼロポイントフィールドなどと呼ばれる領域なのですが、残念ながらここは「全ては一つ」というバウンダリーのない世界です。つまり、瞑想をいくら積んだところでバウンダリーを引けるようにはなりません。泳げないカナヅチさんが泳げるようになりたいと、プールで泳ぐ練習をせずに陸上の砲丸投げの練習をしているような滑稽さがそこにあるわけです。これでは砲丸投げの技術は上がりますが、水泳の技術は一向に上がりません。

 バウンダリーを引けるようになるには、心理的なテクニックも勿論ですが、前回も書いたように肉体のケアや原始反射の統合など皮膚感覚を強め、体感覚でバウンダリーを感じられるような取り組みをするのがよろしいでしょう。

 一方で、ELM瞑想は無駄なのかというとそうではありません。実はELM瞑想には強烈なリラックス効果があることが分かっているのですが、実はこのリラックス効果というのは脳の神経回路の再構築(専門用語で可塑性というらしい)には必須であることが知られています。
 バウンダリーを引くための肉体のケアや原始反射の統合というのは、結局は脳の成長を促すことを意味していて、瞑想の持つリラックス効果によってこれが加速することが期待できます。

 実際に瞑想実践者である自分はこういった瞑想以外の取り組みの効果が瞑想非実践者と比較して、早く出ることが多いような感覚がしています。私がELM瞑想の問題点を指摘しておきながら、未だに細々とこの瞑想を続けているのは、この効果に期待しているところも大きいです。

 そのため、金銭に余裕があれば瞑想もその他の取り組みもバランスよく取り組むのがベストなのでしょう。

最後に


 実はこういったマントラ瞑想というのはELM瞑想だけではありません。他にもTM瞑想(ビートルズなどの実践者で知られる)などもあります。しかし、これらもELM瞑想と純粋意識や空に行くための方法が少し異なるだけで、基本的には同様の効果、つまりバウンダリーを引けるようにはなりません。

 例えばTM瞑想はELM瞑想と違って、実践している人口が多いですし、多数のセレブ・成功者が実践しているので、瞑想体験談が非常に豊富で興味深いものも多いです。ですが、瞑想をしたから成功者やセレブになったのではなく、元々成功者やセレブが瞑想をやっているだけというのは覚えておいた方が良いでしょう(笑)。こういった人たちは元々バウンダリーをしっかり引くことが出来る人たちが多いので、瞑想のリラックス効果の部分を最大限に享受できる可能性が高いのです。

 もしこれから瞑想を始めようとされている方がいらっしゃったら、自分は果たしてバウンダリーを構築する能力が高いのか低いのか自問自答してみてください。バウンダリーが低いと感じるのであれば、瞑想に一点集中して投資するのではなく、肉体のケア・原始反射など様々なことにも取り組んでみてください。きっと貴方の人生は開けることでしょう。

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