雨の匂い


 2062年。沖縄県が中華人民共和国に組み込まれたころ。僕は閉鎖病棟でコーラを飲んでいた。気持ち悪いくらいにきれいな室内。窓にはステンレスのカバー。ねじ山はつぶされていた。ベッドに机。カーテンと漫画が数冊。それだけだ。僕の人生はこんなものだったのかな、なんて達観しようとしてみるけれど、既に60歳。とっくに達観していた。達観することに初めて憧れたのはいったいいつだっただろうか? 食後。血糖値が上がってくる。その高揚感に任せてベッドに寝転がり、布団を頭までかぶって目を閉じる。あけ放ったことを忘れていた窓からは、駐車場のアスファルトが濡れる匂いがしていた。
 2021年。春。僕は切らしたタバコを買いに、真夜中にファミリーマートに向かっていた。勝手に持ち出した母親の傘が少し小さい。牛丼屋の気持ち悪い光り方の看板を横目に、イヤホンを外して店内に入った。
 見慣れた顔がレジの向こうから出てくる。
「ハイライトひとつ」
「こちらでよろしいですか?」
「クイックペイで」
 iPhoneを端末にかざし、タバコを店員からひったくり、ビニールと銀紙を剥いでゴミ箱に捨てた。
 店を出る。新品のパケから一本、少し時間をかけて引きずり出し、100円ライターで火をつけた。
 最初のひと吸いはふかす。
 2回目を吸い込んだ時、アスファルトが濡れる匂いがしていたことに気が付いた。この匂いに初めて気が付いたのは、小学校のころだったような。
 そのときは、「給食のエビフライの匂いに似ているな」なんて思った気がする。
 家に向かって歩き出した。駐車場にはボンネットがへこんだシルバーのスズキスイフト。たぶんあの店員の車だ。普通にぶつけた時にできる凹みじゃないから、コンビニで見るたびに何の傷か考えているが、結局わからない。
 公明党のポスターが貼ってある家の前に吸殻を投げ捨てて、スーパースターで踏みつぶしてから家に帰る。
 自室に戻ると、主人の帰りを待つパソコンがwindows10の壁紙で、真っ暗な部屋を青く照らしていた。
 そういえば、今日は晩飯を食った後からずっとベッドでiPhoneをいじっていたから、暗くなったことに気が付かなかった。外に出た時に気がついていたはずだけど。
 いったいいつから夜の足音が聞こえなくなっただろう?
僕はコロンビアのフリースを脱ぎ捨てて、またベッドに潜り込んだ。
Spotifyを開いて、イヤホンを装着し、PUNPEEの「modern times」を再生する。twitterを開くと、ネットの友人がゲーム画面のスクリーンショットをアップしている。適当なリプライを返して、YouTubeを観た。
 タバコが吸えて、何もしなくていい。人生なんてこんなもんでいいんじゃないか、なんて、少し達観したような気持ちになって、自分が偉くなったような気がした。でも僕はまだ19才。長い人生、達観するにはまだ早いんじゃないかと考え直し、頭まで布団をかぶった。
 夢を見た。精神病院で女と寝る夢だった。
 起きた。自分が自分の部屋にいて、隣に女がいないことを確認して、
「僕はなんでこんな夢を見たんだろう?」と考えた。精神病院が出てきたのは、僕が先週まで閉鎖病棟にいたからだと思う。女が出てきたのは純粋な欲求不満?わからない。いつか読んだ「ブラックジャックによろしく」の精神科の回に影響されている気もする。
 処方された睡眠薬と抗鬱剤をコークハイボールで流し込み、アルバムを最初から再生し直し、タバコを探した。コーラの空き缶を灰皿にして、混濁していく意識のなか、ハイライトを味わった。やることがない。現実が襲い掛かる。
 中学校までは順調だったんだ。
 何も考えず、地元の県立高校に進学した。授業についていけず、担任にも毎日怒鳴られた。
 ある日、家から出られなくなった。毎朝8時35分に鳴り響く固定電話。
最初はトイレにこもって鍵をかけていた。次第にトイレに行くのも面倒くさくなっていった。母親に呼ばれて部屋を出て、受話器を取る。「明日は行きます」と言って電話を切る。布団をかぶって携帯をいじる。たまに昼から学校に行って、部室で友達と話して帰る。そんな日々が1年間続いた。
 2年生の秋のある日、担任に告げられた。
「出席日数が足りません」
「留年してあと2年頑張ったら、パソコンの専門学校の推薦をあげます。パソコン好きなんでしょう?」
 学校をやめた。通信高校に転入した。どうやら僕が好きらしいパソコンを使って、びっくりするくらい簡単な課題をたまにやった。基本的に寝ていた。母親はもはや何も言わなかった。父親は何もしなかった。18歳になったので、自動車の運転免許を取った。
 同じ時期に不登校になり、同じ学校をやめた、元同じ部活の友人と何回か旅行をした。北海道から九州まで行った。
 旅先のサイゼリヤでtwitterを開くと、「最後のセンター試験始まる」と表示されていた。すっかり忘れていたが、僕は受験生であるべき年齢だった。1浪。
後輩に勧められて塾に行ってみた。5月くらいから塾に行かなくなった。暇だったので、貯金をはたいてバイクの運転免許を取った。夏頃、急にアトピーになった。痒い体と一緒に寝ていたら、死にたくなることが増えた。精神科に行ってみたら、鬱病だと言われた。
 薬をもらった。飲み始めたら、手が震えるようになった。病院に行ったら、副作用止めを出された。副作用止めの副作用で便秘になった。睡眠薬をオーバードーズするようになった。ある日、ウォッカで3日分の睡眠薬を流し込んだら、気が付いた時、隣にロープがあった。ポケットの中にはホームセンターのレシートがあった。自分が怖くなった。
 日本初の共通テストの日。3限の英語の時間に、手の震えが止まらなくなり、救護室に運ばれた。
 電車を乗り継いで再試験を受けに行った。場所は弘前大学。大雪だった。
受験者は僕を含めて2人しかいなかった。
 2月中旬。コロナで激安になっていたので、秋葉原にホテルを取って受験した。全部落ちた。2浪。
 精神病院を変えた。3週間入院させられた。退院の日、医者に見立てを告げられた。精神衰弱状態だと告げられた。自分の中から、一つのステータスであった「鬱病」が消えた。悲しかった。自分がダメなのは病気のせいであってほしかった。
 そして実家に帰った。3週間ぶりに外に出たら、季節が変わっていた。優しい雨が駐車場のアスファルトを濡らしていた。あの匂いがした。
 その後、予備校に通うことになった。1週間で行かなくなった。行くフリだけして時間をつぶした。そして今に至る。いったいどうすればいい?
 達観するフリをする。何かをするフリをするのは得意だ。ずっとそうしてきた。これからもそうだろう。
 結局、まぐれで英検準一級を取得し、ギリギリの点数で大学に入った。ギリギリ僕の自尊心が傷つかないレベルの大学だった。入学祝いにバイクを買ってもらった。カワサキのKLX230S。
 特に興味もない経営学部に入った僕は、大学に行っているフリを限界までし続け、大学を辞めた。
 これで本当にバイク以外何もなくなった。住んでいたマンションが学生専用のマンションだったので追い出された。地元には帰らず、大学の近くに安いアパートを借りて、軽トラックを借りて引越しをした。中古の軽自動車を買った。ローソンでレジを打っていた。
 気が付いたら10年経っていた。僕は30歳になった。車は壊れたので廃車にした。精神病院にひと月に一回通って、週5日ローソンにアルバイトに行く。友人は結婚し始めた。考えが卑屈になっていく。タバコはひと箱1000円になった。レジで客にタバコを渡すたび、高いと思う。それでも吸っている。
 1週間に一回、KLXのエンジンをかけてツーリングに行くことにしている。周りを走っている車からはエンジンの音がしなくなってきている。エネオスもコスモ石油も、充電ステーションになった。ひっそりと生き残っているアポロステーションでガソリンを入れてから、近所の海に行って、帰りにマックスバリュで半額の寿司とコーラを買って帰る。
 安いウイスキーをコーラで割って、寿司を食べる。
 バイクと酒とタバコがあればいいんじゃないか、そんな風に達観してみた。でも僕はまだ30歳。達観するには早すぎる、と思い直して頭まで布団をかぶった。

 ローソンがなくなった。どうやら間借りしていた百貨店の建物がドンキホーテになるにしたがって、追い出されるらしい。35歳で、「店長にならないか」と打診されていた僕が思い描いていたキャリアは、消えて無くなった。
 薬が増えた。鬱病と診断された。うれしくもなんともなかった。灰皿にはハイライトの吸殻が高く積み上がり、発泡酒の空き缶がそこら中に転がっている。バイクにもあまり乗らなくなった。
 ある日、タバコを買いに外に出た。雨が降っていた。あの匂いがした。
 匂いは記憶を思い起こさせるという。今までの人生の雨の日の記憶がよみがえった。小学校の裏門。中学校の帰り道。高校を休んだ日の公園。浪人時代のコンビニ。思い返せば、いつも、「達観するには早すぎる」と思っていたような気がする。達観するって何だろう?わからない。
 汚い部屋でタバコをふかしながら考えていたら雨が上がった。
 KLXにまたがり、エンジンをかける。この前親が死んだときにもらった遺産でバイクのバッテリーとタイヤを交換したので快調だ。
 よく行っていた海に行く。雨で湿った砂浜からは、アスファルトとは違う匂いがした。懐かしい。大学に入りたてのころ、ここでよく同級生と遊んでいた。服を着たまま海に飛び込んだり、スケートをしたり。あの頃に戻れたらどんなにいいだろうか、と一瞬考えたが、やめた。どうせ今戻っても結果は同じだ。
 タバコを一本吸って、家に帰って、薬を飲んで、布団を頭まで被って眠った。

 僕は40歳になった。父親の遺産が思ったよりも多かったので、それを切り崩して生活をしている。この年になると就職は難しい。結婚をしたいと思うが、職歴なしの40歳の男によって来る女はいない。最近、よくシミュレーション仮説について考える。こんなキャラクターを操作しているプレイヤーにいっぺん会って、ぶん殴ってやりたいと思う。
 
 45歳。親の遺産が尽きた。計算したのでわかっていたことだったが、最後まで僕が動き出すことはなかった。バイクを売ったが、5万円にしかならなかった。その金を使いつくし、食い詰めて近所のネットカフェに面接に行ってみたら採用された。
 それからはしばらく、働きづめだった。空白期間を取り戻そうと必死に働いた。
 ある日、レジの金がなくなっていた。見つけたのは店長だった。犯人は最後まで分からなかったが、その日を境に同僚たちからの目線が冷たくなった。僕はアルバイトを辞めた。
 僕は毎日、働きに行くフリをした。そんな必要なんてないのに。浪人時代を思い出す。今思うと、あの時自分が騙したかったのは、親ではなく自分自身だったのだろう。
 いつものように公園でハイライトを吸っていると、雨が降りだした。いつか嗅いだことのある匂いがしたような気がしたが、忘れてしまった。
濡れながら家に帰った。布団を頭まで被って眠った。

 50歳。母親も死んだ。妹はどうしているだろう。葬式に行く交通費もなかったので、親戚から送られてきたメッセージで母の死を知った。幸せだといいが。
 他人を羨む気持ちがなくなってきた。生活保護を受給し始めた。申請は驚くほど簡単だった。鬱病でよかったと思った。うれしかった。

 55歳。相変わらず生活保護を受給している。最近幻覚が見えるようになった。医者に伝えたら、医療保護入院措置を取られた。その日からずっと、閉鎖病棟で生活している。病院代は税金から出ているらしい。毎日、食堂においてあるテレビで放送されている映画を観て過ごしている。たまに置いてある漫画を読む。久しぶりに漫画を読む。そういえば若いころは、漫画が好きだったなあ。映画も好きだった。何かを創りたかった。今の自分を見たらどう思うだろう。
 就寝の時間になったので、部屋に戻った。看護師に頼んで売店で買ってきてもらったコーラを飲む。5年もいると、タバコが欲しいという気持ちはすっかりなくなった。性欲もない。ただ、息をして3食食べているだけ。囚人のほうが生産的だ、なんて考える。僕の人生、なんだったんだろう。呟いた。
「結局、運なのさ」
 
 
 
 


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