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南山城村でお茶刈りに行ってきた!


今週の火曜日(2023年5月

16日)、友人の吉川滋さん(通称しげるちゃん)の紹介で、京都府南山城村のお茶農家を訪問し、生まれて初めてお茶刈りを体験してきた。

 しげるちゃんは、いまから3年前、吉野祈りの旅で知り合った同年代の方で、アウトドアの趣味が多彩な人である。

 今年も6月15日から17日にかけて、4回目の吉野山登拝をすることになっており、その参加者のFacebook messengerで数日前にしげるちゃんから南山城村でのお茶刈りの提案があった。

 最近、平日は、部屋に引きこもりがちで、5月15日の月曜日も無性に体を動かしたくなって、自宅がある天満から伊丹空港までロードバイクで往復40km 走ってきたところである。

 それでもものたりないし、なんといっても、お茶を摘んだり刈ったりしたことはなかったこと、最近は、お茶に凝っていて、自室でいろんなお茶を煎じて飲んでいることもあって、ぜひ体験してみたいということで参加させてもらった。訪問したのは、京都府南山城村の井戸野茶園 [1],[9]である。

 しげるちゃんに教えてもらったGoogle Mapの地図に従って、迷いながら国道163号沿いの関西本線JR大河原駅の先から木津川沿いを南下する。結局、奈良市内での渋滞もあり、ついたのは予定より約1時間遅れの午前10頃だった。

 井戸野さんたちは、すでに茶刈りにいってらっしゃったので、井戸野さん宅の軽トラックをしげるちゃんに運転してもらって、茶畑に向かう。激坂を登り、ようやく今日、茶刈りをする茶畑に到着した[2]。

  井戸野さんご夫婦は、共に80歳で、今も現役バリバリで茶畑のお仕事をされている。今日の作業は、もう一人、お手伝いに来ている若手の方と三人でされていた。そこにしげるちゃんと私が合流する。

 お茶の葉を刈る機械も初めて見た。2人用の機械で、ちょうど草刈り機のような小型エンジンで横幅の広いバリカンで茶葉を刈り取ると同時に、送風機で刈り取った茶葉を袋に飛ばす送風パイプがたくさんついている。

 ご主人がバリカンの制御レバー側、奥様が反対側を持ち、お茶の畝の両側をゆっくり進みながら茶葉を刈っていく。若手の方は、刈り取った茶葉が送風機で吹き込まれる袋を後から持ち上げ、3人がしずしずと進んでいく。二人用茶作業機の横幅が、ちょうど茶の畝の半分ぐらいなので、一往復して、一つの茶の畝の刈り取りが済む。

 ちょうど、今は、茶の新芽を刈り取る時期で、今回刈り取ったお茶はかぶせ茶(冠茶)にするそうだ。最初は、作業の動画を撮影していたが、撮影が一段落したあと、畝の端で、茶葉が入った袋の先をくくって、最後に軽トラで搬送する側にお茶の袋を担いで持っていく作業を手伝った。

 午前中に収穫した茶袋を軽トラに積んで、井戸野さん宅のお茶作業工場に戻る。そこで、生葉用のコンテナに入れていく。コンテナに茶葉がいっぱいになると、コンテナを電源につないで、網の目になっているコンテナの底から送風し、乾燥させる。

 午前中の作業がおわり、昼食は、しげるちゃんの車で道の駅お茶の京都南山城村[3]に行く。さすが、お茶の産地だけあって、さまざまなお茶だけでなく、お茶をあしらったプリンやケーキなどのスイーツ、お茶ハイボール、茶そば定食などがもりだくさん。僕はそば定食をいただいた。

 売店でかぶせ茶やお茶のパンを買って、井戸野さん宅に帰ると、なんと、永崎 裕麻さんが校長をされているGiveの学校[4]ゼロ期の同期で、3月2日に天満で開催されたGiveの学校関西懇親会でお会いした東谷修子さんがいるではないか! 

 修子さんは 井戸野さんご夫婦の長女だったのである。そういえば、天満での懇親会で、「南山城村でお茶を作っている。」とおっしゃってたことを思い出した。

 修子さんは、学校卒業後、インテリアのお仕事をされていたが、ご主人の雑貨業を手伝っているときにマーケティングの意識が芽生えたそうだ。マーケティングの視点で茶業を見直したところ、「自分たちが思っている以上の商品価値があり、売り方次第では売れるのでは?」と考えるに至ったそうである[5]。

  その後、実家のほうじ茶焙煎研究のための小型焙煎機の購入などのため、クラウドファンディングを実施し成功させたり[6]、インテリアのお仕事の経験を活かして、昔からあるこの土地のお茶のある暮らしを伝えながら、地域内外の人々との交流を増やすことを目的に古民家を購入し、DIYでリノベーションするワークショップを実践されたりしている[5],[7],[8]。

 ご両親も80歳になり、地域の若者たちの支援ももらって、茶園の経営をされている。このような状況のもと、茶業は家族だけの経営では難しい時代になってきている。今は分業が進んでいるが、古民家のリノベーションを通じて、田舎の生活を伝え、お茶の魅力を発信することによって、南山城村のお茶産業のファン(関連人口)を1人でも増やそうと奮闘されている[5],[7],[8]。

   私の実家も淡路島でかつて農家を営んでいたが、父が2002年に、母が2021年に亡くなって、実家は近くに住んでいる2番目の姉と義理の兄に面倒を見てもらっている。田畑の一部は近くの方にお米を作ってもらっているが、大半は耕作放棄地となっている状況だ。作ってもらっている方も高齢で、いずれ、米作りもお願いできなくなるだろう。
 
 結婚後、ご縁があって、妻の実家がある大阪の天満で暮らしてもう26年になる。妻のお母さんのおうちに同居させてもらって5年になるが、事情があって、いずれ、淡路島の実家に帰る予定である。

 今回、しげるちゃんのご縁で井戸野さんご夫妻、修子さんのご実家で茶刈りの体験をさせてもらったが、淡路島に帰ってからの自分の第3の人生をどのように生きていくか、考えるよい機会になったと思う。

 そして、高齢でも家業の茶栽培を軽やかに継続されている井戸野さんご夫妻と、新しい世代の感性で家業の発展、継続に取り組まれている修子さんのことを知り、大いなる元気をもらえた感じがする。

  そして、何より、朝から夕方まで、身体を動かして茶刈りの手伝いをしたことで、僕の身体も確かに喜んでいる感じがするのである。

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