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白龍のお導き 飛騨文明から『古事記伝』へ

 この10/3に 地元 水屋神社への
白龍奉納から一年の総括の御神事を
終えたばかりの龍神弥勒でした。

奉納からの動きの中で 
『古事記』の元になる話しの
口伝の伝承者…稗田阿礼ヒエダノアレ
とは「飛騨の阿礼」さんで😳
今も 末裔の方が飛騨にはお住みだ
とか… 

驚きの飛騨文明にハマリました。  

地元なのに 敷居の高い『古事記伝』
には 今まで近づきもしなかったのに

白龍のお導き?で参加することになり
ました。

何と面白い‼️

今日は『古事記』を作った天武天皇が
外国(中国)に対して 野蛮な国では無いことを示すのに髪型を決めて詔を出した という件からでした。

「髪を頭上(かしら)に結(ゆい)て 其の末は後に垂れり…云々」
これは 太古の男性の髪型ミズラとは
異なるのだそうです。
そして男女は違う髪型だった。

ところで 当時の女性の髪型は 
イメージがまだ出来てないそうです。
まだって… 2021年もまだ😳

この髪型のことで 本居宣長は色々 
色々考えあぐねるのてすね。

『古事記』は漢文で記されているので
幾通りにも解釈できるし わざと
違っても書いてあったりして…。
 
〔やまとことば〕に読解するのに
長い年月を要したというのは 本当に
大事業だったのですね。

後の身内に映画人の「小津安二郎」が
出ます。
小津映画には 宣長の〔もののあはれ〕が表現されていると云います。

本居宣長は若い頃に 京都で小児科医の勉強もし 後々『古事記伝』の講義も行いました。

絵も上手だったようです😀
自宅の松の絵

龍神弥勒


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