【最近の趣味はコロナ禍によって世の中良くなったことや、希望を探すこと】


散々散々散々散々散々散々散々散々散々!

私のこの2年間のSNS発信の柱の1つとして。

「コロナ禍な世の中を、【否定】しまくる」

というのものが存在することは事実であり認めます。

そう、否定しまくりだったわけです。私は正しいと自分が思うこと、言いたいことを誰憚ることなく発するというのを根幹においていて。否定もまた表現と思っています。つまり

【否定】というものも否定しない

のです。そう、ネガティブも否定しない。怒りも憎しみも否定しない。「出さない」「怒らない」というのも、今頑張って受け入れようと心掛けておりまする😄

さて、本題。

散々、コロナ禍な世の中を否定し続けることによって、希望が見えてきました。たくさん。いいこともたくさん出てきましたね。あげてみましょう。



・身体が浮遊するほどの満員電車がなくなった

・「社会、会社の要請」から体調が少しでも悪くかったら、出勤出社をするか検討するという、「優しいあり方」が受け入れられ始めてきた

・家族と過ごす時間、対話する時間が増えた


ん〜、3つ挙げただけでお腹いっぱいになりました😆
この3つをもって、私は誰憚ることなく申し上げます。個人的な不幸を仮に度外視し、人間社会全体として見た場合。

 コ ロ ナ 禍 、 起 き て 良 か っ た

もう、そう言い切れてしまうのです。腹立つことはそりゃたくさんあるけど。でも、上に挙げた3つのことって、凄く大きいと思います。もう、ハッキリ言って、上の3つが無かったビフォアコロナなんかには戻って欲しくはないですね。

上の3つがなかったから、そんなビフォアコロナだったからこそ、人々の心身の健康は破壊され、思考力は停止し、変なことになってたのかなーと思うのです。

コロナ禍になってから、今も続いているおかしなこと。更に発展しそうなおかしなこと。

・なんの信頼性もないPCR検査を根拠とした諸々に唯々諾々な社会
・子供の身体を破壊しかねないマスク着用強要
・大人の身体も破壊しかねないマスク過剰着用
・治験も終わっていない、というか杜撰すぎるワクチンに対する妄信と、「強要」に近い風潮

これも挙げればきりがないほどたくさんあって、それはなんとかしなければならないとは思い、私も私にできることを少しずつやるのですが。

よく考えたらどれもこれも。

満員電車に宙吊りにされ、「多少の体調不良なら当然出社」というあり方が常識とされ、社会の最小単位にして最重要な家族家庭を蔑ろにすることで、心身が衰え、弱った

私達ビフォアコロナを生きていた人々が、その弱った脳味噌で作り上げたことなんですよね。

弱った脳味噌に整合性を求めるということこそ、整合性に欠けるのです。なので、私がこの1、2年間の間に発信したこともまた、ビフォアコロナジャパンを生きることで脳を破壊された小松龍司が書いた、当然のように整合性に欠けた文章であると言い切れますね😄

そう、これもまた、ビフォアコロナがあったからこそ気付けたことなのです。だから、存在価値は否定せず、その上で否定するのです。

ビフォアコロナなんかには戻りたくはないと。

コロナ禍によって良くなったと私が感じること3つを再び上げてみます。

・身体が浮遊するほどの満員電車がなくなった

・「社会、会社の要請」から体調が少しでも悪くかったら、出勤出社をするか検討するという、「優しいあり方」が受け入れられ始めてきた

・家族と過ごす時間、対話する時間が増えた

他にもたくさんあると思います。人の数だけ星の数のように。これを宝物のように大切に見つめ、磨き、見つめることで、ビフォアコロナ時代に破壊されたものはより輝きをまして再生するのではないでしょうか?そしてその上で、今ある諸問題もまた、輝きを取り戻した人々の思考によって少しずつ解決されるのではないでしょうか?

私はそんな希望を今もっています。

ビフォアコロナに至ったのにもまた、その当時の事情というものがあり、ビフォアコロナだったからこそ、私達は今ここに生きさせてもらえている。

全てを否定することなく、抱きしめて感謝し、そして手放す。そうすることで新しい希望を大切に育てる。

全ては小さなことを肯定することから始まるのかもしれませんね。冒頭に述べた【否定】さえも肯定する。

最初にまずは肯定する。これは決して唯々諾々というものとは違うのです。

最初に肯定する。

これを順序における第一に持ってくること。これが私がコロナ禍というものから頂き、受け取った希望であり、宝物なんだなぁと、

そう感じます。


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