【意義を考えるということ。深く、広く】


小学高学年の頃だったか。アインシュタインという人のことを始めて知った時、直観的に、そして反射的にこう思ったことを思い出し、最近、ずっとそのことを考えています。


「ああ、この人はすごいことを作った人なんだろうけど、多分あんまり頭は良くないんだろうな」


と。1年たたずして、なけなしの社会性を身に付け、そう思った自分のことを、考えを誰よりも自分自身が愚かだと思い、他人に話したことは多分ない。


小学生の時に、かのアインシュタインに対して「ああ、この人はすごいことを作った人なんだろうけど、多分あんまり頭は良くないんだろうな」と思った事は多分、今ここで始めて他人の目に見えるようにしている。


さて、もう少し経った頃に、アインシュタインが考えたことが元になってかの恐ろしき、無辜の民を大勢焼き殺した原爆が作られアインシュタインはものすごく苦しみ、核兵器廃絶を唱えたと言うことを知った。


「ほら見たことが!やはりあまり頭の良い人ではなかった!」


と鬼の首を取ったように愚かしき自説を誇っても良さそうなのに、そうはせず、アインシュタインの自分の中の権威は揺るぐことはなかった。これはある意味でやはり社会性を備えたということかもしれぬが、他方で明らかな自己欺瞞、そして自己洗脳とも言えることを自らが自らに施した。


と、言うことだと今になって思います。


ノーベル賞を作ったノーベルさんもダイナマイトで同じ種類の苦悩を味わったのだろうが、やはり私の受け取り方は「寛容」であった。


しかし、アインシュタインさんもノーベルさんも、ある意味においては、あまり頭の良い人ではなかったのかもしれぬと思います。


少なくとも、「一人の命は尊く、宇宙にも匹敵する」というような思想を尊ぶのであれば、


あれだけの人間の命を奪ってしまう現実の種を撒いたアインシュタインさんやノーベルさんは、


その、人名尊重思想の立場から言うと、


「自分のすることの影響を読むことができなかった、あまり賢くはない人」


というのが、この少なくとも限定された観点から言うならば論理的であろう。しかし、そうはならない。権威主義の弊害という要素もあるのかもしれない。いずれにせよ、色々複雑にこんがらがって白と黒とではハッキリ分けられぬ。


しかしまぁ、何事においても「意義」というものをよくよく、深く広く、感情を加味した上で考えるということは、人間の持ちうる偉大な機能かもしれぬ。


もし、アインシュタインやノーベルが、その発明発見をなす際に、子供を焼き殺された親の感情を、親を粉々に吹き飛ばされたときの子供の感情を、そのような人間感情を加味した上で「意義」というものを各方面に広く深く考察しておれば、ひょっとしたら自らの生み出したものを悪用される可能性に気付き、人類史は全く別の物になっていたかもしれぬ。


生きる上で古今東西問わず常に言われてきたと思われる、


「結果を恐れず、まずはやってみろ」


という道徳は、ある意味では、この意義の根を深く広くはるという感覚を排除してしまうという意味においては危険な教えと言えるかもしれない。


果敢に行動することと慎重に行動すること。


どちらが正しいというわけではなく、やはり塩梅を図ることこそが知性の真骨頂なのかもしれぬ。


「拙速は巧遅に勝る」


兵法家はかつてそう語った。そして現代ほどこれが尊ばれている時代はないかもしれぬ。しかしアインシュタインやノーベルが、結果的にもたらしてしまったような巨大なる惨禍を見るとやはり、あらゆる事は相対的に考えねばならないと考えもしたくなる。


つまり「拙速は巧遅に勝る」は絶対ではない。


伝え聞くところによるとアインシュタインはナチスとヒトラーを脅威とし、何が何でも滅ぼさねばならない、原子爆弾を作ってでもとの妄執にかられていたという。このことが本当だとすると、やはり一面においてはやはりあまり頭のよろしい人ではないことになる。というか、人の能力にはある程度の定量というものがあり、そもそも物理学の追求にその持てるリソースをつぎ込むことに振り切った人に、その他の分野にも成果を求めることこそが愚なのかもしれぬ。


専門家であればあるほど、専門外においては無知無明たりえる。


昨今のコロナ騒ぎにおける、専門家礼賛による結果を見てもやはりそれは言えるような気がいたします。


スペシャリストとゼネラリストの塩梅


そう、塩梅。


今の時代においては、塩梅を図るためにも意義というものを深く広く、よくよく考えるということを意識するのが、この停滞と閉塞から自分を世界を開放する、知性と言えるのかもしれません。


私自身、極端な性質をもち、人の心に波風をたてて気付かずということがママあるようになので、自戒する。


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