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令和五年四月九日 湯島天満宮(ゆしまてんまんぐう) 東京都文京区


「湯島」という地名を初めて耳にしたのは、まだ実家の関西にいた大昔、さだまさしの「檸檬」という曲の中にでてくる『あの日湯島聖堂の白い石の階段に腰掛けて・・』というフレーズだった気がする。

さてその湯島聖堂から少し離れたところにある湯島天満宮であるが、こちらの神社には駐車場、駐輪場がなかったため、二の鳥居に続く「女坂」にボニーを停めさせてもらって(一応駐禁の標識はなかったのだが、後から調べると標識がなくても路駐が違法になる条件はあるようだ)、二の鳥居から境内に入り、一度一の鳥居から外に出て、再びくぐらせてもらった。

二の鳥居
一の鳥居



御由緒によると創設は「雄略天皇の勅命により御宇二年(458)一月」と伝えられているらしい。御祭神は、天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)と菅原道真公(すがわらみちざねこう)。
「湯島神社」、「湯島天神」、「湯島天満宮」と三つの呼び方があるようだ。


手水舎の手前と向こうに牛の像がある。天神様の「牛」はよく知られているが、理由は知らなかったので調べてみた。

菅原道真公は、平安時代の承和十二年(845)乙丑(きのとうし)に生まれ、生涯を通じて牛を愛した。また太宰府に左遷される道中、刺客に囲まれ窮地に陥った際に、白牛に救われたなどの伝承があるらしい。


牛の像を過ぎ参道を進むと拝殿が見えてくる。


拝殿の極彩色の装飾の中心にも「牛」が。

拝殿の左には大きな楠がある。

もう恐ろしい数の絵馬。おまけにここだけではない。やはり勉強、進学などの願いなのだろうか。

本殿裏からも参拝ができた。

本殿裏と向き合う形で境内社「戸隠神社」と「笹塚稲荷」が鎮座する。


一の鳥居をくぐったすぐ左手に「火伏三社稲荷社」。火災が多かった江戸時代には、火災除けとして商人や大名の屋敷内に屋敷神として祀っていたらしい。


泉鏡花の筆塚



龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 51

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