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令和五年三月三十日 波上宮(なみのうえぐう) 沖縄県那覇市


コロナで延びに延びていたマイル消化の家族旅行がやっと実現。
滞在期間中ずっと雨の予報にもかかわらず、初日から晴れ、予定通り沖縄総鎮守の波上宮を訪れることができた。勝手な思い込みで沖縄と神社があまり結び付かなかったが、沖縄全土で15社あるようだ。

ご由緒は、少し長いが公式サイトをそのまま記す。「当宮の創始年は不詳であるが、遙か昔の人々は洋々たる海の彼方、海神の国(ニライカナイ)の神々に日々風雨順和にして豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈った。
 その霊応の地、祈りの聖地の一つがこの波の上の崖端であり、ここを聖地、拝所として日々の祈りを捧げたのに始まる。波上宮の御鎮座伝説に『往昔、南風原に崎山の里主なる者があって、毎日釣りをしていたが、ある日、彼は海浜で不思議な"ものを言う石"を得た。以後、彼はこの石に祈って豊漁を得ることが出来た。この石は、光を放つ霊石で彼は大層大切にしていた。
 このことを知った諸神がこの霊石を奪わんとしたが里主は逃れて波上山《現在の波上宮御鎮座地で花城(はなぐすく)とも呼んだ》に至った時に神託(神のお告げ)があった。即ち、「吾は熊野(くまの)権現也(ごんげんなり)この地に社を建てまつれ、然(しか)らば国家を鎮護すべし」と。そこで里主はこのことを王府に奏上し、王府は社殿を建てて篤く祀った』と云う。
 以来、中国・南方・朝鮮・大和などとの交易(琉球王府直轄事業)基地であった那覇港の出船入船は、その都度、波上宮の鎮座する高い崖と神殿を望み、出船は神に航路の平安を祈り、入船は航海無事の感謝を捧げたという。また人々は常に豊漁、豊穣を祈り琉球王府の信仰も深く、王みづから毎年正月には列を整え参拝し、国家の平安と繁栄を祈るなど朝野をあげての崇敬をあつめ、琉球八社(官社)の制が設けられるや当宮をその第一に位(くらい)せしめ、「当国第一の神社」と尊崇された。」

ご祭神は、伊弉冉尊 (いざなみのみこと)、速玉男尊 (はやたまをのみこと)、事解男尊 (ことさかをのみこと)の三柱。

社殿などに見られる極彩色の装飾は地域を限定せず見られる気がするが、神額は南国ならではなのかも知れない。少し調べると、やはり宮崎県の青島神社の神額も近しいデザインである。

さて参拝。二の鳥居近くの駐車場にレンタカーを停め、一の鳥居から始める。


手水舎の屋根は、住居に多く使われている「琉球赤瓦」。そこで三柱の龍に迎えられる。


狛犬はしっかり沖縄の守り神「シーサー」である。

鳥居の神額は派手だったが、拝殿などの朱色は以外にも彩度が抑えられ、濃い紅に近い印象である。

賽銭箱上部に掲げられたご由緒を縁取る干支がかわいい。

こちらも極彩色の「象」と「龍」。


末社。右が「浮島(うきしま)神社」、左が那覇市奥武山公園内に鎮座する「世持(よもち)神社」



龍神ボニーとともに、龍神様の神社を巡る 50

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