『お金のいらない国』活動の目的

私は『お金のいらない国』という本を出版し、それをネタにした寸劇、落語、歌などを自ら演じて、講演活動をしています。小説を書いたのが1993年ですから25年前。出版したのが2003年で、そこから講演を始めて15年になります。

「お金のいらない国」などと聞くと、はなから否定する人がいらっしゃいます。それは無理もないことかもしれません。私だって、そう簡単に実現できるとは思っていません。少なくとも現在60歳の私が生きている間には難しい気がしますし、実現したとしても何百年も何千年も先か、所詮、この地球上には無理なことなのかもしれません。

ではなぜそんなことを私は長いこと訴え続けているのか。もちろん未来にはそうなってほしいと思っていますが、とりあえずは実現が目的ではないからです。

私はこの経済社会、お金に翻弄された社会が、人にとって、生物にとって、地球にとって、ベストではないと思います。人間がお金という道具を発明したことによって、世の中は狂い、とんでもない方向に動いてきてしまったと考えています。

お金は貧富の差を作ります。人々の欲望をあおります。大量生産、大量消費、大量廃棄を生み、資源を枯渇させ、環境を破壊します。もちろん、それはお金に罪があるのではなく、人間がそういったシステムを作ったことに問題があるわけです。

そして、私が訴えたいのは、お金の存在する社会においても、それに翻弄されず、物事の本質を見極め、行動してほしいということなのです。

考えてみてください。この社会、ほとんどの問題はお金が存在することによって起きていると思いませんか。お金が原因で、各分野で不条理な仕事、あるいは犯罪が生まれ、世の中に混乱を巻き起こしている。また、お金の存在を前提にすることによって、物事の判断基準が曖昧になっている。

全ての問題を、もし、お金がなかったらとして考えてみてください。自ずと答えは見えてくるはずです。お金などあろうとなかろうと、本来正しいことは決まっているのです。この経済社会においても、もしお金がなかったらと仮定して想像することが大切なわけです。

そうやって、自分の心の中にお金のいらない国を築いてください。それを築けた人は、この社会を生きていく上でも判断がぶれなくなると思います。そこのところを理解した上でなら、それぞれがお金とどう向き合おうと、どう使おうと、それは自由です。

多くの人がそういう意識を持てるようになれば、自然と世の中もいい方向に動いていくと思います。お金のいらない国に焦りは禁物です。実現はさておき、大切なのは今、一人一人が想像することです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?