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「寄りかかる」と「支えてもらう」の違い

猿から別れて人類になった時に、自然状態で全力発揮できる身体を喪失してしまいました。その代わり大きな脳を何百万年もかけて手に入れたと言われています。

それにしても何故、直立二足歩行になんかなっちゃったんでしょうね。無謀ですよね。最初はよちよち歩きだったろうから食われまくってたでしょうしね。

となると、直立二足歩行を始めた「新型猿」にとっては「しっかりと立つ」ということが、生き延びるための絶対条件だったのだと思います。

しっかりと立つことで、他の動物より優れていると言われる「投擲能力」と「長距走能力」とを育てていったのでしょう。

子供の頃、母に言われ続けてきた「しっかりしなさい!」「ちゃんとしなさい!という言葉は、「直立感を出しなさい!」ということを意味していたのだなと今更ながら思います(笑)

さらに、面白いと思うことは、直立感は実際に「立って」いなくても生み出せるということです。

僕の母が脳梗塞で倒れて、車椅子の生活になった姿を見て驚いたのは、直立感が、母の姿からはっきりと感じられたということです。座っているのに直立感があるというのは、当時、不思議に感じました。さらに、寝たきりになってしまって、ベッドから起き上がれなくなり、僕を認識できているのかどうかも分からないような状態の時でも、強力に「真っ直ぐ」という感じを受けました。

直立感は「しっかりした感じ」と言い換えることができると思います。寝たきりなのにしっかりしているというのは凄いですよね(笑)

人は病を得たり、怪我をしたり、身体に不具合が生じた時、「しっかりしなきゃ」という本能が、より強く発動するのかもしれません。

「立つ」というのは見た目だけでなく、人間の存在実感のことを示す言葉なのかも知れませんね。

「寄りかかる」というのは丸投げという感じがします。自分の虚弱な直立感を補完するために他者や何かを使う。クレーマー、ストーカー、なんとかハラスメントも、その類ですね。

以前、書いた「自己肯定感の質」の四象限でいうと、左側に属するということになります。

自己肯定感の四章限


System2を使いこなすためのSystem1が育っていないということになるのかもしれませんね。

それに対して、「支えてもらう」は、自立した人間同士が、社会や世界で生き残るために、お互いの長所を出し合って、欠点を補いながらワチャワチャやっていくということ。

一緒にやっていくためには、共感する力を育てないと無理ですね。共感というと軽い言葉のように感じてしまいますが、実際は生存に必要な基本的能力だと思いす。

共感するためには、お互いの物語を共有する必要がある。

では、どうやって共感を集団の中に生み出していくのか。

ちょうど、今、僕のインタビューが連載されているサイトがあります。

ここで、初歩的な部分ではありますが話しています。
4、5回くらい連載されるようです。興味のある方は是非、覗きに行ってみてください。


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