静観は身体能力
東日本大震災発生直後、霞ヶ関にある某省に呼ばれたことがあります。たまたまその省の委員をやっていたのですが、未曾有の事態なので、どんなことでもいいから意見が欲しいというメールが来て、それに応えたらすぐに来て欲しいということになったのです。
行ってみたら、とんでも無いことになっていました。
普段、優秀と呼ばれている人たちが右往左往しています。あまりに気の毒なので、「そう悲観することはないんじゃないですか?」と声をかけると「いえ、楽観はできません」と引き攣った顔で言うので、「悲観も楽観もすることはないでしょう。静観できないんですか?」と言ったらキョトンとした顔をしてました(笑)
静観とは何か?
僕がここで言う静観とは、放っておくということではありません。それは傍観です。
どんな緊急事態においても、できるだけ客観的な情報をあつめ、その情報をもとに主観的な判断を下し行動する。それを繰り返しながら、変化していく状況に対応していく姿勢や態度のことを僕は静観と呼んでいます。
こう説明すると簡単にできそうですよね。でも緊急事態に静観することができる人を僕はほとんど見たことがありません。
僕が静観する力の高い人間として最初に思い浮かべることができるのは私の母です。
私の腕が折れた時の母の対応
私は小学校一年の時に右腕を骨折したことがあります。
当時、ボーリングが流行っていて、その日は、母に連れられてボーリング場にいっていました。小学一年生の僕は、重いボールを投げることができないので、母がプレイしている間は併設しているゲーム場で遊んでいました。
その日、場内をうろうろしている時にエスカレーターに目がいきました。ゆっくりと動いているエスカレーターの手すりを見ていたら、何故か、僕の力でも止められるんじゃないかと思ったのです。アホですね(笑)
そして、実際に止めようとやってみました。もちろん止められるはずもないのですが、根性で踏ん張っていたら、右手の肘が壁とエスカレーターの間にはまってしまい、そのままどうすることもできずに、ボキッという音と激痛が右腕に走ったのです。
しかし、母にそのことを言えばひどく叱られると思い、黙ったまま激痛をこらえて、プレイを終えた母の車に乗せられて帰宅しました。
帰宅したら、たまたま友達が遊びに来ていて、自転車に乗って遊ぼうということになりました。
激痛で気を失いそうになりながら自転車にのっていたのですが、石を乗り越えた途端に、右腕の骨折した部分がずれて、腕にもう一つ関節ができたように曲がってしまったのです。
それを見た僕はパニックになりました。
激痛はもちろんのこと、自分の右腕は不気味に変形した姿に恐怖を感じたのだと思います。
わーっと大きな声で泣き叫びました。
すると、その声を聞きつけた母がやってきました。
「お母さん、腕が!!!」と泣き叫ぶ僕をみても表情ひとつ変えずに母はこういったのです。
「男のくせに、腕が折れたぐらいで泣く奴があるか!!!!!!!!」
不思議なことに、母の叱責の言葉を聞いたとたん、恐怖が消え、パニックから解放されたのです。もちろん激痛はそのままですが。
そして、母の車に乗せられて、行きつけの病院にいき、レントゲンを撮ったりギブスをまいたりしてもらいました。
僕の状況を見ても、母は一切動揺しませんでした。まさに静観という感じで、一連の処置を仕切ったのです。
母は昭和八年に鹿児島に生まれました。父親は戦死し、終戦直前に米軍に機銃掃射されたこともあったそうです。戦後も自分の母(僕の祖母)を助けながら、弟と妹の世話をしながら必死に生きて、父と結婚してからも送電線工事の会社を立ち上げて日本の復興に尽力してきました。
僕が知る限りだけでも、非常な困難の連続でしたが、母が弱音や愚痴を言ったことは一度もありません。
では、東大出の優秀な官僚たちと僕の母の違いはどこにあるのか?
それは身体です。
存在感、迫力がまったく違います。
ではどうやって母はそのような身体を育ててきたのか。
それについては、次回の愛でよろしくVol,6で語りたいと思います。
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