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異形の君

彼女が人でなくなって以来、ずっと僕が面倒を見てきた。どうして彼女がそうなってしまったのか、理由は何も分からない。ただ彼女は異形のものになって、世話が出来る人間は僕以外にいなかった。それだけのことだった。

最初の10年ほどは、どうにかして彼女を元に戻す手はないかと探し回った。しかしそれは全て徒労に終わり、徒労は絶望となって僕の肩にのしかかった。彼女が異形になってしまったことは当然筆舌に尽くし難いほどに辛いものだったが、次第に僕はいつ果てるともなく続くこの日々に苦しむようになった。何度も彼女を殺そうと考えた。しかしそれを実行することは僕には出来なかった。僕は彼女を愛していたからだ。人間のものではなくなってしまった彼女の瞳の奥に、まだ僕のことを想ってくれているような光を時々見出してしまうのが途轍もなく悲しくつらかった。

朝晩2回彼女に食事を用意して、排泄物を片付け、彼女があまり暴れない日は彼女の体を拭いてやることもあった。毎日毎日。一日も休まずにだ。10年20年と経つにつれ、彼女は次第に凶暴になっていった。夜通し暴れて一睡も出来ない日が増え、僕も疲れやつれていった。仕事も辞めざるを得なくなり、僅かな年金と障害手当でギリギリのやり繰りをせねばならなくなった。少しおかしくなってしまっていたのだろう。藁にもすがる思いで新興宗教に騙され、霊験あらたかだという水を買って貯金もなくしてしまった。僕の人生は何だったんだろう…。何もせずただ部屋でぼんやりと、地下で彼女が暴れる音だけを聞いて過ごす時間が増えた。彼女が人でなくなった時に、同時に僕ももう壊れていたのかもしれない。

僕も歳をとった。もう昔のように体の自由も効かない。もう彼女に本気で暴れられたら止めることは出来ないだろう。薄汚れた布団の上にストンと、買ってきた灯油のポリタンクを置いた。ごめんなさい。僕はもう無理です。もし来世があるのなら、きっと一緒に幸せになりましょう。親不孝な息子をどうかお許しください。

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