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2.5次元認識論

朝、靴ひもを結びながらふと、そういえば蝶々結びが出来るようになったのが遅かったことを思い出した。たぶんあれは小学校の高学年になってからだったはずだ。蝶々結びなんて周りのみんなは当たり前に出来るのに僕は出来ず、でもそれが恥ずかしくて何となく誤魔化していたような記憶がある。

紐を結ぶだとか、何かを折り畳むだとかは、僕の中では2次元と3次元の間にある行為で、僕はそこに苦手意識がある。平面的なものを平面として、立体的なものを立体として認識することは出来るのだが、2次元的なものを3次元的に認識する、3次元的なものを2次元的に認識する、そして2次元的な認識と3次元的な認識を行き来しながら作業をする、というのがどうも上手く出来ないのだ。

中学の時、授業の一環で臨海合宿があった。海沿いの施設で1泊か2泊の合宿をしつつ、共同生活を学ぼうという合宿だ。クラスは4、5名の班に分けられ、僕は班長になった。合宿所にはベッドがあり、朝になると決められやり方でシーツを綺麗にたたまねばならない。今思えば前時代的な合宿だなと思わないでもないが、まあ厳しいルールのある共同生活を学ぶというのも時には必要だろう。僕は班長として、班を代表してシーツのたたみ方を教わって、班のみんなに伝えねばならなかった。まずこう折って、次にこう折って、綺麗に端を揃えてこう折る……しかし全然覚えられない。でも僕は自分だけ覚えられないのが恥ずかしくて、分からないことを言い出せなかった。結果僕のせいでうちの班はシーツをたたみ直すことになって、班のみんなに迷惑をかけてしまった。今でもトラウマに思う出来事だ。

絵を描くことも好きだけれど、風景画や人物画はとても苦手だ。目の前にある3次元的なものや風景を紙の上という2次元に変換する過程でどうしても歪みが発生して上手く描けない。風景画や人物画ではない抽象画や、粘土や彫刻などの立体造形の方がイメージ通りのものが作れるのは、2次元は2次元のまま、3次元は3次元のまま認識して出力する能力の方が長けているのだろう。

靴ひもは上手に結べるようになったけれど、仮にも舞台人ならばもう少し知っていてもいいような紐の結び方は何も知らないままだ。誰でも簡単コンパクトに収納出来るTシャツのたたみ方!みたいな動画を何度も見たりもしたが、Tシャツの正しいたたみ方さえ未だに分からない。合気道をやっていた学生時代、僕だけ袴が上手くたためずに変なしわが入っていた。アイロンがけも下手くそだし、紙を折るだとかも今でも苦手だ。折り紙は鶴も折れない。もうこれはそういう特性だと思って生きていくしかないのだろう。苦手なものは誰かに頼ればいい。僕が苦手なことはきっと誰かの得意なことだし、逆に僕の得意なことは誰かの苦手なことでもあるのだろう。そうやって社会は機能しているんだね、と、何となく綺麗に折り畳んだ文章で締めることに致しましょう。

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