正義と悪と
小さい頃にアニメや特撮やゲームでよく見た、『世界征服を企む悪の組織』、彼らのやろうとしていたことは本当に悪だったのだろうか。彼らには彼らなりの正義があったのではないだろうか。そんなのはもはやありふれた疑問だ。しかしSNSでいろいろな人たちがそれぞれの正義を振りかざして殴り合う様子が可視化された昨今、そんなことをより思うようになった。
不貞を働いた芸能人を槍玉にあげて叩く正義。虐げられている女性のために支援団体を立ち上げる正義。悲惨な事故に繋がるヒューマンエラーを起こした人物を明らかにして罪を糾弾する正義。災害に苦しむ人たちのために自ら現地に駆け付けて物資を届ける正義。災害に苦しむ人たちにより多く物資が届けられる妨げにならないように今は現地に行かないことを選ぶ正義……。
100人いれば100通りの正義があって、どんな正義も誰かにとっては悪になり得る穴があって、清廉潔白完全無欠な正義なんてものはない。それなのに我々は正義に潔癖を、完璧を求めてしまう。そのねじれた矛盾。そんな矛盾を見て見ぬふりをして、我々は正義ヅラで悪を叩く。正義の御旗を掲げて悪を晒しあげて糾弾することは気持ちいいからだ。気持ちいいはお金になる。皆を正義の味方に仕立て上げる論説は売れる。そうしてまた新しい正義の味方が、孤高のヒーローがそこここで生まれるのだ。
100人100通りの正義のために、100通りの悪が生み出されることとなった。今は正義の時代であると同時に、それと対立する正義という悪の組織が乱立する時代なのだ。そう言えば正義の味方の代表格である仮面ライダーも、悪の組織と戦うのではなく、いつしか仮面ライダー同士で戦うようになった。それも世相を反映してのことだったのかもしれない。
僕にも僕の正義がある。しかしそれは誰かにとっては悪にもなり得る正義で、だから僕は声高に自分の正義を押し付けることはなるべくしないようにしている。それはつまり自らに正義があるというのにそれを成すことをしないという悪だ。正義と悪とがまるで下手クソな大喜利のように滑稽に錬成される混沌の時代。正しく生きるのは難しいけれど、それでも正しくありたいものですね。
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