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#2 人生の前編、人生の後編

「カリフォルニアでベーカリーカフェをやろう!」

結婚15年目の2015年の夏、二人の新たな人生がスタートした瞬間だった

Brio Brio Bakery & Caféが実際にお店をオープンしたのは2020年であるが、ロゴにはこっそり「Established 2015」と書かれている。

2015年までが人生の前編で、2015年からが後編だと思うくらい、人生の大きな転機だったと思う。

小さい頃から安定が一番と信じて疑わず、必死で勉強して進学校に進み、浪人を経て国立大学に入学。

新卒で住友商事に就職し、26歳で結婚、長男を授かり、都内にタワーマンションを購入。

社会人10年目となる年に三菱地所に転職し、翌年長女を授かる。

2013年、38歳の時にニューヨーク駐在となり、このまま安定が保証されたサラリーマン生活を突き進むことを疑ったこともなかった。

しかしその翌年のカリフォルニアへの転勤が僕たちの価値観、そして人生を変えてしまった(詳細はこちら)。

安定生活を順調に突き進んでいた人生の前編は、僕が主であったと思う。

商社勤務時代は毎日朝から晩まで働き詰めで、且つ海外出張や接待続きだったので、妻ナオコといっしょにご飯を食べた記憶はあまりない。

ある日、ナオコから

「私たちって結婚してんだっけ?」

と言われたことがあるのを覚えているが、その時は、老後も含めゆとりある安定した生活を送るためにはそれが当たり前だと思っていた。

自宅で料理教室をしていたナオコから、スケジュールがコンフリクトした時、「お互い働いているんだから」と言われた時は、

「でも、家計を支えているのは俺だよね」

と当然のように言い返した。

転職する時もナオコには相談もせず一人で決めて、事後報告した。

昭和の価値観が残る僕は、妻は夫を支えるものと思っていたのだろう。

カリフォルニアへの転勤という人生の転機がなければ、そのままザ・サラリーマン生活を突っ走り、

子供達が巣立つ頃に離婚を突きつけられていたかもしれない。

三菱地所は本当に従業員思いの会社であったし、仕事のやりがいもあったが、この人生の転機に導いてくれたという意味でも感謝の言葉しかない。

2015年、カリフォルニアでベーカリーカフェをやろうと夫婦二人で決めてから、タイムラインについて何度も話し合った。

駐在は5年と決まっていたので、2018年3月に終了する。

駐在途中での退職、もしくは駐在期間終了後に退職しそのままカリフォルニアに残って起業することも考えたが、

会社にはあらゆる面で感謝しかないため、一度日本に帰って1年間しっかり働いて恩返しをしてから辞めることにした。

開業目標を2019年12月に決めた。

起業を決めた時点で残された期間は約4年。

それからは、ことあるごとに、お店のコンセプト、メニューの内容、内装イメージ、出店場所などについて夫婦で話し合い、

週末には気になるお店、話題のお店を訪問した。

また、退路を断つため親しい友人達に自分達の夢について語った。

結婚15年目にして初めて歩いている道が重なった気がした。

ナオコは料理教室もやっていたし、料理の才能があることは出会った当初から知っていた。

一緒に外食に出掛けると、このソースには何々が入っているなと推測してみたり、お店で食べたものを自宅で再現することが得意だ。

パン社会だと思って来たアメリカに美味しいパンがないことを知ると、自分でゼロから天然酵母を起こしてパンを作り始めた。

Brio Brioの名前の由来となったブリオッシュパンを食べてみるとびっくりするほど美味しかった。

カリフォルニアに移住してビジネスを始めようと思った理由はいくるかあるが、その中の一つは、

僕の才能でサラリーマン安定生活を続けるより、彼女の才能に賭けて飲食店をやった方がもっと大きなポテンシャルがあるのではないかと思ったことである。

2023年になった現在、僕の勘は間違いでなかったことが証明された。

Brio Brioは当初の計画では、ベーカリーというよりは自家製パンを使ったサンドイッチをメインにしたカフェ寄りのお店にしようと考えていた。

しかし、オープン直前にパンデミックに見舞われ、急遽、店内飲食中心のカフェではなく、テイクアウトしやすいパンの品揃えを強化した。

それらのメニュー開発はナオコが全て取り仕切った。

もし当初のカフェ寄りコンセプトのまま続けていたら、今頃家族で路頭に迷っていたかもしれない。

Brio Brioのオープンは内装工事の許認可手続きの遅れに加え、コロナにより、当初目標より半年以上遅れた2020年7月となった。

会社を退職した2019年3月から収入が途絶え、開業が大幅に遅れたことにより無収入期間が約1年半続いたことに加え、

「アメリカあるある」で、工事費をはじめとする初期投資が当初予算の1.5倍に膨れ上がったため、手元資金がみるみる減っていった。

また、コロナ真っ只中でどれだけお客さんが来るか予測も付かなかったため、

開業時はスタッフ2人しか雇えなかった。

夫婦二人で朝5時半から夜10時過ぎまで休日もなく働く日が続いた。

僕は体重が8キロ減り、疲労と寝不足で意識が何度も飛びそうになったが、

ナオコは黙々とパンを焼き続け、お店がクローズしてからも次の日の準備を行い、最後に必ずきれいに掃除して帰った。

こんなに長く人生を共にしているのだから、ナオコがどういう人か知っていると思っていたが、全然知らなかった。

夫婦というパートナーだけでなく、最高のビジネスパートナーだった。

以来、Brio Brio Bakery & Caféでは、ナオコがパンやサンドイッチなどのメニュー開発や、現場の指揮を行い、

僕が会計や給与計算、勤務シフトなどの事務関連を中心に、発注や設備保守等その他全部を受け持っている。

お互いの強みを発揮し弱みをカバーし合っている。

人生の後編はナオコが主役になって、僕が裏で支えるのも悪くないなと思った。

両親がよく

「私たちは二人で一人前」

と言っていた。

その時は何言ってるのと思っていたが、

僕たちの最近のお気に入りの言葉である。

残りの人生は、安定が保証された人生ではなく、

夫婦二人でアメリカンドリームに挑戦し続けようと思う。


▶第一話はこちら


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