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断章【00026】~【00030】

【00026】

60歳を過ぎてCOPDの症状がひどくなり、
いかに単なる呼吸と思っていた何気ない基礎運動が、
いかに単なる歩行と思っていた何気ない基礎運動が、
非常に体力を使い疲労するものなのだと思い知る。
少し歩いては息切れが。 過呼吸気味になり、
その場で息が通常に戻るまで待つしかない。
だから、自転車で少し外出するので精一杯。
電車に乗って美術館へ行くなど、もってのほか。
いったい過去の重度の喫煙が、こんな状況をもたらすなんて、
若い頃には考えもしなかった。しかし、これが、これこそが、
言い逃れもできない厳然たる現実なのだ。

このまま安楽探偵ならぬ安楽美術家になるしかない、。
それでもそれで生計が立ち生きて行けるなら本望だろう。


【00027】

何も描き写さない。
そこには、ほとんど何もない。
点だけがある。

それこそが現代アートの藝術の真髄。

何も描き写さない。
そこには、ほとんど何もない。 点だけがある。


【00028】

COPDで息切れや過呼吸が歩くだけでひどいのなら、
ここにいてどこにも行かなければどうなるのか。
どこでもない?ここが現代アートの聖地だとしたら?
どこでもない?この場所で究極の現代アートを発信したら?
必要な情報はネットで得られるだろうし、
こここそ究極の現代アートの究極の場所と捉え直すこと。
ここが現代アートの究極の聖地だ。


【00029】

どこにも居場所がない。
物語は常に頓挫する。
藝術は究極を目指す。

この3行は、自分が20歳くらいの頃から、
何らかの影響を受けたというわけではなく、
自然に自分の思考に定着した短いつぶやきだ。

だからこそ自分の居場所はどこにもなく、
文章による仕事もなく、
究極の「ART=・」作品だけが ここにある、
そういうことのようだ。

「どこにも居場所がない。
物語は常に頓挫する。
藝術は究極を目指す。」


【00030】

「どこにも居場所がない。
物語は常に頓挫する。
藝術は究極を目指す。」

いわゆるプラス思考からすれば上記のようなことを信じているから、
自分の居場所はない=どこにも活躍や評価の場が存在しない。
物語は頓挫する=だから小説など書き終えられない。
藝術は究極を目指す=そう、だから、この究極化だけが現実化する。

果たして、本当にそうだろうか。
マイナス思考から始めて秀逸なプロセスを経て結果をもたらすことは、
不可能なのだろうか、と、常に疑う自分がいる。
だからこそ、と、自分の中のどこかで小さな声がするが、。

では、こうすれば良いのだろうか。

「どこにも居場所がないなんてことはあり得ない。
物語は常に頓挫するわけはない。
そして、藝術は常に究極を目指す。」


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