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【究極思考00014】

 30代以降によく読み始めたのが椹木野衣の美術批評だ。その画期的なデビュー批評『シミュレーショニズム』という名の単行本だった。ハウスミュージックへの言表を交えつつ、「盗め」と煽る挑戦的な批評だったと記憶する。この書籍は、かなり人気だったらしく、その後、文庫となり、さらに『増補 シミュレーショニズム』として増刷されている。当時は、村上隆らとも親交があり、停滞していると感じていた日本の現代アートをそれこそリセットしようという目論見を秘めたデビュー批評だったように今にしては思える。彼の登場以前の美術批評は、文章が練れていない難解なものか、理解しやすいが印象批評的なものが主流で、椹木野衣の美術批評のように明解な論理は非常に新鮮だったし、同世代の批評家の登場と非常に期待したものだった。
 その後、彼は、『原子心母』などの著作を発表したあとで、「美術手帖」連載の論考をまとめた『日本・現代・美術』を上梓する。日本を「悪い場所」と断言し、彼の先輩である美術批評家の千葉成夫の批評を批判することから立論を始め、さまざまな秘術批評家の文体を取り入れつつ言説を再検討する、時代を遡っていく構成だった。そこで現代美術と言われていたアートの潮流が現代アートと呼び直され、海外の現代アートと同時代の表現として日本のアートを評価し直す試みだったといえるだろう。そこでは盟友である村上隆を等身大に評価していたのも印象的だった。
 その後、2000年になると日本の現代美術をリセットすると主張し、『日本ゼロ年』展をキュレーションし、日本の現代アートの旧態依然とした勢力にまさに啖呵を切った結果となったのではなかったか。美術界が無視してきた岡本太郎や横尾忠則らを改めて評価した展覧会は、村上隆の海外での「スーパーフラット」展で自らの存在を欧米の現代アートに接続した勢いとともに、日本の現代アートの新しい時代を宣言したようだった。その後、「美術手帖」に連載中の『後美術論』執筆時に東日本大震災に遭遇し(その後、単行本化)、地震や火山噴火、台風被害などをも見据え、「美術手帖」に連載中の『震美術論』を完成し(その後、単行本化)、災害列島である日本という悪い場所での現代アートの真価を問うような著作を発表し今に至る。また欧米の現代アートのからくりを日本の現代アートと接続しつつ解説した『反アート入門』は、可能な限り平易に解説した良書だと言えるだろう。彼の著作が上梓されればまずは読みたくなる。それは自分にとっては村上春樹と同じ存在と言えるかもしれない。
 椹木野衣の批評は、日本の現代アートを構築しようという試みとも言える。それは、あくまでも、欧米の現代アートの潮流と同期しつつ、村上隆とも思考を同期しつつだろう。しかも、岡本太郎や成田亨、横尾忠則などを無視し続けた日本の美術界、美術批評を批判し、日本の現代美術をリセットするという挑発は後々まで遺恨を残すこととなる。それまでの旧式の権威に完全にたてついたからだ。逆に同世代からは喝采を持って迎えられてはいたのも事実だ。
 この時期、自らの作品を英語で欧米の現代アートに接続し、欧米の現代アート界から多大な評価を獲得して帰国して軸足を日本に移しつつあった、村上隆のGEISAIなどとも同期する、日本の現代アートをリセットするという挑発ではあった。ただし村上隆のGEISAIが、イラストレーションや漫画を含むことをも辞さないコミケを参照したアマチュアたちによるアートフェアだったのに対して、椹木野衣の日本の現代美術をリセットすると豪語した展覧会『日本ゼロ年』展では、ヘタウマやスーパーリアルなどの日本のイラストレーションや、エウリアンとして社会問題化したクリスチャン・ラッセンなどの多色刷りオフセット絵画、明治時代の文明開化とともに始まった日本の洋画・日本画・公募団体絵画に関しては紹介さえもなく何も語られなかったのは、後で見直してみれば瑕疵としか言いようがない。いったい何をリセットしたのかと言われても仕方ないコンテンツだったのだ。逆に、それだけ日本のアートでも現代アートでも美術でも名称は何でもいいが、魔界とか異界とか呼びたくなるような恐ろしい地獄絵的な異世界にほかならないことの立証だったのかもしれないと思いもする。椹木野衣が当時、意識していたかいないかに関わらず。椹木野衣の待望の新刊はいつ上梓されるのか、それが今の楽しみのひとつではある。

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