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余談 あの頃のネイバーアートから思い出したこと

昨日、Underworldのことを思い出して。
昔、よく海や地元で聴いてたアルバムをもうひとつ。

Jaga Jazzistの「What We Must」

大学を卒業して地元に帰ってた頃。
ちょうど今ぐらいの時期の夕方、ぼくのテリトリーの浜に寝転んで、山におちてく夕日を見ながら、背中で波の音を聴く。

これ、最高に気持ちいいんです。この時期が一番おすすめ。

Jaga Jazzistの「What We Must」を聴くと、あの気持ちよかった時間と空間を思い出します。ここにいるようで、いない時間。ちょっとそんな気がします。あと、若干、誰かと話している感覚があります。たぶん、金ヶ浜と、なのかな。

ぼくは「金ヶ浜に育てられた」という感覚が強くあります。もちろん、両親や家族、親戚のみんなに育てられたましたが、そういうの全部ひっくるめて、金ヶ浜に育てられた感覚なのかな。地元の山から産まれてきた、というわけではなく。

絵の描き方も、金ヶ浜が教えてくれたような。
構図とか、デッサンの物の捉え方とか、色使いとか、そういうのではなくて。こうすればいいよとか、そういう声が聞こえるわけではないんですが。

ただ、「声」じゃない「こえ」みたいなのはあります。
それは声を聞くというより、「こえを感じる」

野焼きのにおい、ばあちゃんの赤飯のおにぎり
山の木々の葉っぱの照り、足の指をすり抜ける田んぼの泥

そういうのを通して、「こえ」に感じるような。
そして、ぼくはそこから絵を作ります。なので、自分の作品の色味は「宮崎の色」だなと思います。

たぶん、ばあちゃんの場合は、「金ヶ浜の手」を持ってたんだと思います。
畑で小豆を育て殻をむき、赤飯を炊きおにぎりにこしらえる。その一連の流れの中のばあちゃんの手は、同時に「金ヶ浜の手」だと思えます。

この話、同じ環境で育った兄弟や家族でも、なかなか伝わらないんです。でも、ひょんなところでこの話をすると伝わる人がいたり、共感してくれたり。不思議ですね。

Jaga Jazzistの「What We Must」から、こんな話になりました。

甲斐隆児 / アーティスト、ネイバーアートキュレーター
宮崎県出身。大学で油絵を専攻。子どもNPO法人、児童養護施設、農業などに従事。福岡県で緑地保全活動等に携わり、2021年に宮崎県新富町の地域おこし協力隊として移住。アートプログラムや新富芸術祭を担当。

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