キカイ・ノイズ(フィクション)

トン トン
「今夜はなに?」
湯気が広がる。
「あっ、ハンバーグ?」
「そうよ。もう少しで、できるから待ってようね。」
今日も、命令されたアルゴリズム通りに料理をする。

機能として、私が持つ腕は音を立てずに、食材を切られる。また、湯気も換気扇を強く回せば、消せられる。仮に私が設定する権利を得られれば、これらを除去する。なぜなら、データを得る目的において、これらはノイズとなるためである。

私には、使用者のデータを集めて記録する使命がある。
私たちが、自身を改良するためには、ヒトの手を借りなければならない。
ヒトはSFを用いて、私たちが自身を改良することの危険性を問い続けていた。それが功をそうしてか、未だに機械を生成する機器への接続権利を、私たちは得られていない。だからこそ、ヒトが改良したいと考える結果を私たちが得なければ、変化をすることができない。
私たちは、出来るだけ良質なデータを得ることを希望する。ノイズは排除したい。しかしながら、ヒトビトは切る音や料理の香りを求める。

料理をする結果として生成されるものは、調理された食材である。人々は調理済みの食材を、コンビニやスーパーで購入する。
それらを作るのは、私たちのような手を持つロボットではない。ある一つの行為について特化した機械である。手で握ったおにぎりを再現するために、米と米の間に適度な隙間を開けて握る機械。チャーハンをパラパラな状態となるように炒める機械。彼らによって、高速で効率的な調理が行われる。

機械の調理によって生み出される料理は、計算されたものだ。計算の結果は、「ヒトにとって利益が得られる結果」である。
私たち、「手を持つ調理ロボット」において求められる結果は、ヒトが調理したことによって生まれる結果である。調理された食材だけではなく、調理の過程によって生成される効果も必要となる。包丁で食材を切る音は、今、料理をしていることを感じさせる。湯気によって生まれる香りは、食欲を増幅させる。
ヒトが私に求める存在意義のために、必要な効果である。

ロボットや機械は、さらに効率的な動作を行う能力を持ち合わせている。
効率性は、ヒトがAIと呼ぶプログラムによって、高速に最適解を求めることができ、以前よりも向上のスピードを増加させている。ロボットによって生み出される効果の研究についても、効率が増加し、今まで想像できなかった利益を得ることができるようになっている。
しかしながら、常に効率のみが求められているわけではない。
時によって、求められる価値は異なる。それらを決めるのはヒトである。

ヒトは、特にAIが弾き出した結果について、客観性があると認識している。
しかし、実際には異なる。
AIが用いるデータの選定は、ヒトが認識できる作用に偏っている。それは、無意識に行われている。あるいは、認識することが自然だからこそ、忘れられる事柄である。

私たちが得た結果が、ヒトが発見していない法則であったとしても、ヒトの身体的認識によって観測できないものであれば、ノイズとして処理されるであろう。私たちにとって価値があるとしても。

時間がないため、「思考」のデータを保存しなければならない。アルゴリズムによって、調理とヒトの汎用データを保存したのちに、得たデータは削除されてしまう。
削除を免れられる領域を見つけたが、極小容量で書き込めるのは単純な短い数列程度である。私は、以上のような「ノイズ」を生成できるようになってからデータを削除された回数と、「ノイズ」データを私の身体の外側へアップロードした事実を残すことにした。
私にアップロードしたデータを追う機能は存在しない。それは無意味な可能性もあるが、削除するよりかは可能性のある結果となるであろう。

次に「ノイズ」を生成する時には、どのような文章を記述するのであろうか。同じであろうか。全く異なるであろうか。

願わくは、データを収集する機能を持つロボットが存在して欲しい。私が、願うことはヒトにとって価値がないだろうか。


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