『回転木馬のデッド・ヒート』(村上春樹著)
1.概要
村上春樹の短編小説集といっていいだろう。合計で9つの作品から成る今作を、僕は1月末に読んだ。ほぼ一晩で読めた。そんな文量である。
2.そもそも僕が好きなもの
村上春樹のことを「官能小説」や「そもそも小説と呼ぶべきではない」という人も居る。
しかし僕は、村上春樹の作品が好きなのだ。
何故か。
…多分、自己を投影し、没入しやすいからであろう。他の方の本よりも。
先に断っておく。僕は、普段から小説をた~くさん読む種の人ではない。料理やヒトと同じで、僕は本の好き嫌いが激しいのだ。それと、好きなものがあれば、そればかりにトライするところもある。ご飯だって毎回同じところでしか食べないし、友達だって仲良くなればその友達とばかり一緒に過ごす。本だってそう。絶対に面白いと思える本(僕で言うなら太宰治や村上春樹作品がそれ)があるのに、わざわざ他のものにトライする気になれないのだ。
3.小説を読む=外国語で打ち解け合う
小説や本を読むとき、決まって僕は「自分と同じ感覚をもつ見知らぬ人(作者や登場人物)と出逢う」ことを求めている。
何かに悩むとき、こんな考えをするのは自分だけなのでは?と自問自答することはないだろうか。
そんな時に、友達の、他人の力を借りずに、自分を安心させてくれるもの、それが小説なのかもしれない、と僕はそう思っている。
そして、それは外国語を使って、所謂外国人の方とお話することによって得られる安心感に近いものがあると思っている。
自分と全く異なる文化で育った人と、母語以外で深い、非常にパーソナルな部分について話し合い、そこで互いの気持ちを理解し、それに同意できたときに得る、あの安心感。大きく言うと「文化」や「国籍」を超える「ヒト」的な何かを感じられたときに得る、あの安心感。
それに近いものを感じたいときに、僕は小説を読んでいる。
この辺りの感情については、また今度詳しく書きたい。
4.本作の好きなところ
以上より、僕は「自分を投影し共感できる(してくれる)作品」が好きだ。このことを念頭に置いて言うと、僕は本作内の「プールサイド」というものが1番好きだった。遂に手に入れた安定した生活を、わざわざ壊しにいく、その、いつまでも十分に満足することのできない、悲しい男が僕は好きだったのかもしれない。
短編小説集のようなものは、作品と数多く出逢える分、好きになれるものもきっとある。確率論的には無論、超大作を読むよりは、そういったものに出逢える可能性が極めて高い。
なので、村上春樹作品に手を出したいが出しそびれている方には、本作などは丁度良いのかもしれない。