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何故デモに参加?意味はあるの?(上)

1.はじめに

 僕は今までに片手に収まるほどの回数ではあるが、所謂「デモ活動」に参加したことがある。先日もウクライナ大使館主催の"Stop Putin!!"や"Stand with Ukraine"を訴えかけるデモに参加した。
 その様子をかつてはTwitter、今回はInstagramにて少し映し出したところ、数人の友人から反応を頂いたことで、また世間一般の声をネット上で色々と見たことで「なるほど、本当に人によって見える世界は違うのだな」と改めてこの個々の意見を届けやすいネット社会の恩恵を受けた(僕にとって多角的視座を確認することは恩恵を受けるに等しいのだ。ただ言い方にマナーが無いものは当然別とするが)。
 そこで僕は思った。「デモに参加しても意味がない」や「デモって怖いし思想が極端過ぎる人の集まりじゃないの?」という声は「悪意より生まれているものではなく、ただその問題と縁がなく、見えているものが少し違うから」だよな、と。当然なのだが。(笑)
 それらに対する僕の想いを書いてみる。もし良かったら、1つの意見として最後まで読んで頂きたい。

2.デモに参加しても意味がない

 これに関してはよく驚かれるので言うのだが、実際にデモや、幅広く言うと抗議運動によって(この表現が間違っていたらすみません。僕は今、あれを表現するのに必要な語句を有していない)現状が変わった事案を知っている。それは「共通試験への筆記問題の導入」だ。
 現在「共通試験」は選択式で行われているのだが、あれに関してはあらゆる大学教授や予備校講師の方々が、マスメディアと一体となってSNSなども上手く利用することで、あまり大学受験に詳しくない方々にも問題点が多少解りやすい形で伝えられ、潮目が変わり、結果として2021年度の共通試験からの筆記試験実施は見送られた。
 そう、端的に言うと、意味がないことはない、のである。では今回のウクライナ問題に関してはどうだろうか。
 我々一市民が動いたところでプーチンは変わらない。当然である。では何故、例えば僕のように参加する者が居るのか。
 ハッキリ言おう。僕に関しては、実利的な意味など求めていないのだ。例えば共通試験のときもそうだし、今回もそうだ。(続く)

↓(下)はこちら。(下)が僕の主張と伝えたいこと。



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