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日本書紀の赤気のはなしを毎日新聞へ寄稿しました。

『日本書紀』の推古28(620)年には、「十二月の庚寅の朔に、天に赤気有り。長さ一丈余なり。形雉尾に似れり」という日本最古の天文記録が記されている。この記述は赤いオーロラなのか、あるいは赤い彗星か。1400年来の謎解きに挑戦できる機会というのは、そうそうあることではない。

オーロラは、普段は緯度の高い地域でしか見られない自然現象である。しかし、稀に、日本のような中緯度地域からでもオーロラが見られることがある。実は、日本でもオーロラが見られたからと言って喜んでばかりもいられない。現代社会を支える高度なインフラは、中緯度地域にオーロラをもたらす「巨大磁気嵐」の悪影響を受けやすいため、人工衛星の故障や地上電力網の障害など、現代ならではの深刻な問題が引き起こされてしまうからである。

現実的な問題として、そのような巨大磁気嵐は、これまで日本で何度くらい起こったことがあるのか、実際どれほど危険そうなものか、ということが、専門家としてよく分からず、はっきりと責任をもって答えられない。なぜ分からないかというと、あまりに稀すぎて、現代的な観測データがないからである。そこで助けになったのが日本の古典籍であった。

古典籍に残るオーロラを読み解く「オーロラ4Dプロジェクト」という試みを始めたのが2015年。国文学研究資料館と国立極地研究所の共同研究プロジェクトである。藤原定家が『明月記』に残した1204年の「赤気」の分析から始まり、江戸時代の古典籍『星解』に描かれた不思議なオーロラ絵図に突き当たった。何が不思議かというと、描かれたオーロラの姿が、専門家でも見たことない扇形をしていたのである。その後、海外でも扇形のオーロラ絵画があることを知り、実は日本でも1958年に、北海道の女満別において、扇形のオーロラが写真撮影されていたことが明らかになった。つまり、扇形オーロラというのは、巨大磁気嵐のときに中緯度地域に決まって現れる派手な形態だったのである。

さて、『日本書紀』の当該記述に話を戻すと、形が雉の尾に似ている、とある。私が雉の尾から想像するのは、長くスッと横に伸びた様子であり、オーロラというより彗星なのではないかと考えていた。ところが、舒明6(634)年には、彗星が「箒星」と書かれており、「赤気」は彗星とは区別されているので困った。はて、雉の尾の形というのは、実際どのようなものだったか。インターネットで画像検索をして、その結果に鳥肌が立った。美しい扇形の尾羽が、注目されていたのだ。

雉は、ディスプレイ行動と言って、雌へのアピールなどで尾羽を扇形に広げる鳥だった。言われてみれば、雉もクジャクも同じキジ科の仲間である。特徴的な扇形のオーロラ、あるいはその一部を見て、雉の尾に見立てたとしたら、それは物理的に納得の行くものである。このようにして、『日本書紀』の「赤気」は扇形オーロラであろう、という客観的な考察が可能になった。このような紆余曲折とも言える研究成果をまとめた拙著『日本に現れたオーロラの謎』(化学同人)が、奇しくも本日10月31日に発売される。

それにしても、赤気という怪しい天変を雉にたとえていることには、少し違和感があった。若干ほのぼのとしている。中国の例を見ると、旗や火、血、というように戦いを連想させる凶兆的なものが多く、鳥や獣にたとえた赤気は見つからない。ここで雉の尾を持ち出すのだから、雉が尾羽を扇形に広げる行動を誰もが知っていて、そう言えばわかるよね、というほど、当時の日本人は普段から雉のことを、よく観察していたのかもしれない。雉愛を感じる。私は、ここに来て少し、当時の日本人の感覚や気持ちの一端を感じることができたように思っている。

2020年10月31日 毎日新聞掲載(許可を頂いて、原稿を個人ブログに転載)


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