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博士課程への進学を考えているあなたに伝えたいこと

サイエンスの醍醐味は未知の”真実の扉”を開けることです。古代ギリシャから連綿と受け継がれてきた探求の営みに私もずっと携わっていたいと願っていました。きっかけは学部生の時、学生寮のテレビを一緒に見ていた先輩から、「緑色という物が存在するわけでなく、光の反射の波長を見ているに過ぎなくて、僕の緑色と君の緑色は違うのだ」と聞いて本当に不思議でワクワクした体験。今となっては、反射光の波長が網膜の錐体細胞で電気信号に変換され、大脳皮質の神経回路でその色や質感が再構成されていることを知っているので当然のことだけれど、それでもあの時の感動と脳のメカニズムを知りたいという情熱は今でも鮮明です。この時のワクワクがその後の15年間の研究者人生を支え導いてくれました。

私はいつか教科書に載るような発見をしたいと思っていました。しかしながら、研究者として十分な成果を出せず、大学のポジションを得ることはできませんでした。その後、今の会社に就職して2、3年が経ったころ、偶然にもカンデルの教科書に私の論文の図が載っているのを見つけました。憧れたサイエンスの営みに私も足跡を残せたことを嬉しく誇らしく思います。研究者の道を歩んだことも、途中で断念したことも後悔はありません。

さて前置きが長くなってしまいました。博士課程への進学を考えているあなたに伝えたいことがあってこの文章を書いています。私が伝えたいことは3点です。ただ知りたいという興味優先で戦略的なマインドに欠けていた私自身の反省です。

  1. 博士課程への進学が本当に自分がやりたいことなのか、それ以外に自己実現の方法が全くないかを考える。

  2. 研究テーマと研究室の選択がキャリアパスにとって最善の選択なのかを5年先を見据えて考える。

  3. あらかじめ35歳を区切りと考えてそれまでにテニュアトラックに乗れなければ転職することを決めておく。

それでは、以下に私の経験を交えながらご紹介したいと思います。


1.博士課程への進学が本当に自分がやりたいことなのか、それ以外に自己実現の方法が全くないかを考える

私が博士課程に進学したときは大学の独立行政法人化が叫ばれ、大学のあり方が変革を迎えていた時代でした。研究費のカットと選択と集中、特任助教と言った有期ポジションへの移行。しかも、小子高齢化と経済低迷の中、基礎研究に使える予算も大学のポストも減ることは容易に想像できたはずなのに、私は呑気に進学してしまいました。

人材の流動化は良いことだと思います。しかし、私が学生の時の教授は今でも教授だったりして、20年も変わっていないということはざらです。しかも、定年延長があったり、退官後も特任教授として大学に残ったりと、流動化は若手の特任助教や特任講師にしか当てはまらないことのようです。それでは正規のポストが空くわけがありません。20年間、毎年2名の博士を排出している研究室であれば39名はアカデミアに職がありません。そんな単純な計算ができなかったのです。

大学関係者から「博士課程では学生は自ら課題を設定し、それを解決するための方法を学ぶのであって、その普遍的な能力はどこに行っても役立つ」といったことを聞きます。そんな経験であれば会社でも普通にできます。学生は都合の良い労働者(研究の担い手)の側面もあるので注意が必要です。これも私の体験ですが、助教ポストに応募し採用直前になって、1人分の予算で2名採用したいと打診されたことがあります。リスク分散や働き手の確保という点では合理的ですが、私達のリアルな生活をあまり考えてくれていないように思いました。

そういったアカデミアの不条理と、少子高齢化・経済低迷ゆえに斜陽産業であるといった現実を直視し、「それでも自分は研究がしたいのか、研究以外では本当に自己実現できないのか」を自問自答してから進学を決めることがとても大事です。

2.研究テーマと研究室の選択がキャリアパスにとって最善の選択なのかを5年先を見据えて考える

私は博士課程では麻酔下の実験動物を用いて大脳皮質視覚野ニューロンの応答特性について、抑制性神経伝達物質の受容体を薬理学的に阻害したときに刺激選択性がどのように変わるかを電気生理学的に研究しました。従来のモデルでは説明できないことが分かり、そのテーマを深掘りしたくて米国に留学しました。そこでは、ホールセルパッチクランプ法を用いて興奮制シナプス電流と抑制制シナプス電流を調べることで神経回路のダイナミクスを研究し、新たなモデルを提案するとともにモデルから予測される結果を実験的に示すことができました。

これが上述の教科書に載った図ですが、正直言って古典的なテーマと使い古された手法であったことは否めません。その当時は楽しくて夢中だったのでそのことに気づきませんでした。留学を終えて日本に帰ってくる頃には、遺伝子改変マウスの作成、光操作による局所神経回路改変による行動変容の同定、二光子レーザー顕微鏡を用いた多点同時記録がトレンドになっていました。もっとアンテナをはって5年後の世界を見据え、今後どういったテーマや手法に注目が集まるかを予想して留学先を選ぶ必要があったのです。

もしもあなたが博士課程に進学することを決め、研究者としてやっていきたいのであれば、将来研究者として独立するための確固たる武器を持つ必要があります。うちの大学に来て欲しいと思ってもらえるだけの独創的な研究テーマを掲げ、それに立ち向かえる研究手法を持ち、多くの競合他者から抜け出さないといけません。博士課程とポスドクの期間はそのための準備期間と位置づけて研究室を選ぶべきです。博士課程で研究テーマと研究手法の両方が独創的であればNatureやCell、それら姉妹誌に論文が掲載される確率が高まります。少なくともテーマか手法のいずれか一つは5年後にトレンドになるようなものを選ぶ必要があります。トレンドが確立してから追従しても、実験をして論文が出るときは既に遅すぎます。

目利きとセンスが重要であることは言うまでもありません。博士過程では〇〇というテーマを見つけ、ポスドクでは〇〇といった最先端の手法を習得し、独立したときにはそれらを組み合わせて創造的な研究に発展させるといった具合に、戦略的に自らのキャリアパスを考えることがとても大事です。

3.あらかじめ35歳を一つの区切りと考えてそれまでにテニュアトラックに乗れなければ転職することを決めておく

私は博士号取得後、28歳から7年を米国の大学で、帰国後の4年間を理研でポスドクをしました。今の会社に就職したのは40歳になってからです。理研の4年間は無駄な時間でした。その頃までには自分がこのまま研究者としてやっていくだけの才能がないこと、頑張り続けても自分より若手にチャンスが与えられることが分かっていたからです。

言い換えると、35歳までに正規のポジション(特任助教や特任講師はなくて正規の助教や講師)を得ることを念頭に、学位取得後の7年間を計画する必要があったのです。例えば、最初の1年で実験を軌道に乗せ、2年目に主たるデータと共に論文の方向性が決まり、3年目には補完するデータも揃え、どんなに遅くとも4年目には筆頭著者として1本目の論文を投稿する。その後も実験と執筆を同時にこなし、年1本のペースで論文を投稿し、35歳までに最低でも3本の論文が出版できている。もちろん、投稿準備中の未発表のデータもあって、33歳には〇〇学会のシンポジウムに招待され、35歳には〇〇の分野でトップランナーとして認知され論文の査読依頼を受ける、という具合に。

分野によって多少は違うと思いますが、ある程度チャレンジングなマイルストーンを設定し、定期的にプランと現状を精査し、プランを修正したりバックアッププランを検討したりします。そして、プランとの乖離が大きくてマイルストーン達成ができそうにないことが判明した時点で方向転換する、つまり研究を断念し転職することを決めておくのです。しかも、粛々と実行できるように客観的な指標を設定し、感情に流されることなく決断できる仕組みにすることが大事です。


生物系ポスドクの会社選び

理研ポスドクの待遇は日本の平均的な大学のポスドクに比べれば良いとはいえ、米国のポスドクの方がずいぶん魅力的でした。いずれも年次更新であることは変わりませんが、米国の場合はNIHがポスドクの給与目安を設定しているため毎年1500ドル程度の昇給があり、他分野との交流も盛んで、アシスタントプロフェッサーの採用なども透明で、基礎研究を重視する文化や制度の違いを感じました。

一方、就職して正社員になれば年次更新ではなく、毎年2%前後の定期昇給や退職金があります。非管理職は残業したらその分割り増し賃金が発生し、容易に解雇されることもありません。管理職になったら残業代はなくなり、人員調整で解雇されることもありますが、会社都合であれば退職金の上積みもあるので決して悪い話しではありません。要するにポスドクと正社員の待遇は雲泥の差なのです。

会社員であっても研究職であれば研究者の夢と安定した生活の実益が両立します。やりたいことだけやれるわけではありませんが、ポスドクだって教授やPIの指示があるので、そこまで自由ではなかったです。また、非研究職であっても、製薬企業であればメディカルアフェアーズやメディカルサイエンスリエゾン、データベース研究や観察研究といったエビデンス創出など、形は変わりますがサイエンスに関わっていくことともできます。科学機器メーカーやソフトウエアメーカーの技術営業であれば、研究経験を生かして顧客に提案できるかもしれません。私は製薬企業で働いていますが、サイエンスに関わっているかどうかというよりも、有期雇用でないことによる心の安定のほうが大きいです。有給が取れるという点も大きいです。

最後に製薬企業を例に、①修士卒あるいは薬学部卒で入社した平均的な社員、②ポスドクを経て中途で入社するケース、③ずっとポスドクを続けるケースの3群について、給与(図1)および生涯年収(図2)を考察したいと思います。いずれも1995年から2000年頃に博士課程に進学あるいは修士卒で就職した場合の給与水準をベースにシミュレーションしています。あくまでも複数の事例を参考にした架空のシナリオである点は十分にご留意ください。

図1.給与推移(シミュレーションによる推計値)
1995年から2000年に博士課程に進学あるいは修士卒で就職した場合
図2.生涯年収(シミュレーションによる推計値)
図1の累積
  • 会社員:非管理職で定年を迎えるものとし、3回の昇格(30歳、35歳、40歳)とその都度10%の昇給、50歳までは毎年2%の昇給、それ以降は毎年1%の昇給があると仮定。月16時間の残業代を含めた。退職金は残業代を除いた給与の1割とした。

  • ポスドク⇒会社員:博士課程3年間は学振DC1、博士号取得後2年間は学振PD、その後は留学先の研究室からNIHベースの給与をもらうと仮定。40歳で転職するとして、転職後の初任給はポスドク時の給与の1.5倍とした。2回の昇格(47歳、49歳)で20%と15%の昇給、50歳までは毎年3%の昇給、それ以降は毎年1%の昇給があると仮定。最初の昇格で管理職になるとし、それまでは毎月16時間の残業代を含めた。退職金は会社員の期間のみで残業代を除いた給与の1割とした。

  • ポスドク:40歳以降も給与が変わらないと仮定。残業代や退職金はない。

本シミュレーションについて、新卒入社の会社員が非管理職のまま定年を迎えるのは現実的でないという指摘があるかもしれません。また、ポスドクから転職してもうまく会社にフィットできずマネージャーにはなれないかもしれません。ポスドクを続けてアカデミアのポストが得られないという確証もありません。つまり、1)上記シナリオが平均的なものであるとしても、ばらつきの範囲とその起こりやすさについては全く考慮されていません。2)残業代ついて、働き方改革で残業がしにくくなったという点も考慮されていません。3)そもそも昨今の薬価改定により製薬企業は今までのような利益率が維持できず、給与水準が下がる可能性も考慮されていません。4)2024年時点の米国ポスドクの給料はインフレの影響もあって1年目で61000ドル(約920万円)であり、日本で会社員をするよりも高額となる可能性もあります。ちなみに私の頃は35000〜37000ドルでスタートでした。

結果、リミテーションはあるものの、最初から会社員をしていた人と比べて、ポスドクを続けた場合の生涯年収はマイナス1億8500万円となリます。大変な金額です。一方、研究に見切りをつけて転職することでその差はマイナス2600万円にまで圧縮できます(35歳で転職したらプラス2400万円)。厚生年金の受給額がマイナス2000万円程度になるとしても合計でマイナス4600万円です。それが高いと見るか否かは受け手によって変わります。

私はと言えば、20代と30代に果敢に夢に向かってチャレンジし、ずば抜けて優秀な人たちを目の当たりにし、海外生活もでき、研究者と会社員という2人分の人生を経験できたことを考えたら、十分に許容できるレベルだと思います。セカンドポスドクをやらずに転職していたら言う事なしでした。


以上、参考になったでしょうか? 

戦略的にプランし行動することは研究者であっても会社員であっても同じです。いつか我が子が私と同じように研究職や専門職に就きたいと言い出したら、やはりここに書いたことをアドバイスします。

研究者になりたいというあなたの不安を解消し、背中を押すことができたのであれば幸いです。やらないで後悔するより、やって後悔するほうが断然いい。できるだけ後悔しなくて済むように十分に納得し、上手にキャリアパスを描いて進んでいって欲しいです。

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