#広陵高校 出身の被爆者の担任の先生に薫陶いただき40年


広陵高校出身の被爆者の担任の先生に薫陶いただき40年

夏の甲子園は安佐南区の広陵高校が2-1で熊本工業を破って3回戦へ。おめでとうございます。

東京都世田谷区で過ごした少年時代。小3~小4の担任の先生は、広陵高校出身で被爆者の方だった。
平和とカープについては徹底的に叩き込まれました。
先生は、野球部に入れずに陸上部だったそうです。国体に出られるはずが、心臓が少し大きいということで、涙を呑まれたとか。
1984年、小3の年はカープが阪急ブレーブスを破って日本一になりました。
当時のカープは北別府、川口、大野ら投手陣、そして高橋慶彦、山本浩二、衣笠も健在でした。ブレーブスは今井雄太郎、山田久志ら投手陣はもちろん、三冠王のブーマーに俊足で長打力もある蓑田や松永ら。非常にいいシリーズになったのを覚えています。それ以来、大学卒業までは『東京のカープファン』でした。
もちろん、平和についても徹底的に叩き込まれました。
先生は自分と同じ小3の時、爆心地から3km程度の小学校で被爆されたということで非常に印象的でした。これが大人になってからの被爆体験、逆に幼児期の被爆体験であっても、共感することはなかったかもしれません。自分と同じ年齢の時の体験をうかがったからこそです。
そして大学卒業後、わたしは、広島から東京へ行かれた先生とは
逆に、東京から広島へ。広島県庁に入庁しました。

「広島を憎む、広島を心から愛するがゆえに」
というのは今のわたしのスタンスです。
その根底には1984年、40年前に担任をしていただいた先生の薫陶があるのだと思います。

40年間、ずっと、カープが大好きだからこそ、カープのふがいない野球には怒る。
広島が #平和都市 としてしっかりしてほしいからこそ、ふがいない広島の政治を市民の手に取りもどす #庶民革命 で #MAKEーHIROSHIMAーGREATーAGAIN!
なのです。

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