瞳をとじて(ビクトル・エリセ監督)

ビクトル・エリセ監督による、なんと31年振りの作品だそうです。
監督の作品は、初めて観ました。

事前には、もっとメジャーな、派手な映画かと思っていましたが、結構、渋い、通好みの映画でした(私はミーハーなヲタクなので、通とはいえません。)。
通の方たちの評価は相当高かったので、観ました。

地味ながらも、なかなか余韻の残る映画です。
誰かとこの映画の解釈について語りたい!という思いが湧いてきます。
ということは、良い映画なんでしょう。

瞳を閉じて、というタイトルにもあるように、「目」「瞳」「まなざし」がとても印象的な映画です。

劇中劇(映画の中の映画)で、とある老人が中年の男に、長年会っていない娘を探してくれと頼むシーンから始まる。依頼に当たり、老人は男に、「娘のあのまなざしに見られたいのだ」と切望する。

自分の感覚では、「あの瞳を見たい」は分かるけど、「あのまなざしに見られたい」というのは、なるほどなぁと打たれました。そういう表現もあるのだ、と。

しかも、その娘の写真が、とても印象的です。白人である老人と、どうやら中国人の女性との間に生まれた、エキゾチックな感じの少女です。
「上海ジェスチャー」という表現も使われます。最後に、少女がそのジェスチャーをしますが、なんというか、娼婦っぽいポーズで、西洋人による東洋人に対する偏見が含まれているようにも感じました。
また、劇中劇の中で、老人に使える「中国人」という設定の執事が出てきますが、それがまた典型的な中国人を演じさせられていて、やっぱりスペイン人にも東洋人に対するステレオタイプがあるのだなと思いました。

まなざしで印象的なのは、行方不明になっていた俳優であり、主人公の映画監督の友達でもあったフリオが、見つかって老人になっていた男の、なんともいえない、落ち着きのない目の動きです。
彼を診察した脳神経科の医師は、記憶はその人の人格(?)にとってとても重要だ、などと言います。記憶が人にって重要であることは、色々な映画のテーマにもされていますが、そういうことがさりげなく触れらていました。

また、とても不思議だったのでは、監督ミゲルと俳優フリオの若いころの演技と、30年後の演技、明らかに同一人物だけど、どうやって撮影したのか?ということです。これも特殊技術なのだろうか。

劇中劇で映画がテーマがなっていることから、エリセ監督のニューシネマパラダイスだ、というコメントも読みました。確かに古い映画館で上映をするシーンは、ニューシネマ…を彷彿とさせますが、そこでは映画を観る側又は映写する側からの映画への愛を描いていましたが、本作は、映画を作る側にとっての映画への愛を表現した作品と思いました。

映像のキレイさ、巧みさは、事前の口コミで指摘されていましたが、私にはあまり分かりませんでした。割と暗めの映像でしたが、構図が良かったようには思いました。

細かい話ですが、スペイン人たちが、「この間イタリア人が来ていて、手振り身振りがやたら大きかった」と話していて、面白かった。日本人からすれば、スペイン人も身振りが大きいと思っていたけど、イタリア人の方が大きいっていうのはそうなのでしょうね(笑)

まだまだ色々な切り口があると思います。色々な人とこの映画について語りたいです。

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