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営業日報第4話/職人

残暑が一転して朝晩は冷え込むようになった。
昼間はまだそれなりなので、朝から出かける時の服装に悩む今日この頃。
「秋」という季節はどこに行ってしまったのだろうか?

営業日報第4話/職人

少し小雪がパラついていたので1月か2月だったと思う。
月末日曜日のイベント夕方、その月は私個人も店舗もノルマを達成しており、営業所の全員がのんびりと時間が過ぎるのを待っていた。
私は店頭応対の順番だったため、ショールームの受付に座って雪を見ていた。
受付の中西さんが「寒い寒い」と言いながら私の隣に座る。
中西さんは3年前に新卒で配属されてきた25歳の女の子だ。
「そんなに寒いなら毛糸のパンツでも買ってやろうか?」
会社によってはセクハラ発言なのだろうが、私がいた営業所の女性はみんなノリがいい。
「毛糸のパンツならもう履いてますよ」
微笑みながら中西さんは言う。
「え?マジで?」
まさかの返答に驚いていると大笑いしながら中西さんは答える。
「そんなわけないじゃないですか、小学生じゃないんだから」
配属されてきた頃と違い、3年もうちの営業所に居るとたくましくなる。
揶揄うつもりが見事に返され、私はカウンターに突っ伏した。
「広田さんに勝つと気持ちいいですね、コーヒーでも淹れますね」
したり顔の中西さんは悠々と給湯室に向かった。
中西さんが淹れてくれたコーヒーを2人で飲みながら世間話をしていると1台の車が入ってきた。
他社の車で結構古い車だ。
ノルマを達成していたので多少の面倒さがあったが、「あと1台!あと1台」と煽る中西さんに背中を押され、モードを切り替えた。

相変わらず小雪が降る中で車を駐車場に誘導する。
頭に雪が付くのが気になり、早く降りてきてくれと願う。
車から降りてきたのは年配の夫婦。
いつも通り店内へと案内する。
「寒いね~」
挨拶代わりに男性が言う。
「お車をお探しでしょうか?」
問いかける私に男性は女性を見ながら言った。
「かあちゃんの車を探しててね、2000cc以下で荷物も積めるような車ある?」
当時はステーションワゴンも流行っていて、各社がラインナップに揃えていた。
ちょうど1500ccのステーションワゴンがあったので、そのカタログを手に取り商談テーブルに誘導する。
「こちらですと1500ccで奥様にも丁度良いサイズだと思います」
2人揃って仲良くカタログを見つめる。
中西さんがコーヒーを机に並べると、これまた2人で仲良くコーヒーを飲み始める。
客はカウンターを背に座っていたので、去り際に中西さんがガッツポーズしながら応援してくれた。

あいにく展示車や試乗車はなかったが同じ車種にメカニックが乗っている。
しかも自分の車を点検するためにピットに入庫した状態だ。
「ちょうど展示車が無いのですが、社員が同じ車種に乗っております」
「工場にありますのでそちらをご覧になりますか?」
ご主人は奥さんを見ながら「じゃあ見せてもらうか」と言い立ち上がる。
メカニックに鍵を借り、ピットへと夫婦を案内した。

一通り車を確認すると奥さんは非常に気に入っている様子だった。
ただ営業マンの値引き枠全てを使った見積もりと、予算との差額が約15万ほどある。
ちょうどナビの費用と同じなので、ナビを外せば収まるが奥さんはどうしてもナビを付けたいらしい。
用途などの話を聞くと配達にも使うのでナビは必要との事だった。
何を配達するのかを聞くと寿司だそうだ。
夫婦2人で寿司屋を営んでいるらしい。
日曜日が店休日で車を見に来たとの事。
回転寿司にしか縁のない私にとって非常に興味深いお店だ。
年配という事もあってか即決には至らず、持ち帰って検討するという事になった。

定時で帰れると思っていたが考えが甘かった。
夫婦が帰った後に再度店長に値引きを5万増やしてもらい、頃合いを見計らって寿司屋へと向かう。
営業所から20分ほど走った場所に店はあった。
店休日のため暖簾は出ておらず、2階の部屋に電気が灯っている。
お店の横を入った奥に住居用の玄関があった。
インターホンを鳴らすと奥さんが出る。
「先ほどは有難うございました!広田です」
「ちょっと待ってくださいね~」
そう言いながら「さっきの車屋さん、もう来たわよ」と言う声がインターホンから漏れる。
奥さんが玄関を開けてくれると2階へと案内された。

世間話をしながらパソコンの準備をする。
店長から追加でもらった値引き5万を加えた見積書を元に話を進める。
予算との差額は10万に縮まってはいるが、どうしても予算内で購入したいと譲らない。
私はここで賭けに出た。
「分かりました。ではもし予算内に合わせることが出来れば、今日ハンコを押していただけますでしょうか?」
夫婦は2人で顔を見合わせ、あまり悩みもせずに答えた。
「うん、合わせてくれるなら買うよ」
私は店長決済をもらうのでと言い、電話をするふりをして一旦外へ出た。
今月の店舗ノルマは達成している。
5万の店長決済を貰った直後なので、電話したところで無理してまでは取ってくれないだろう。
そこで金額を合わせて注文だけをもらい、来月の注文として上げる事にした。
月が替わればノルマもリセットされるので+10万程度であれば通るはずだと踏んだわけだ。
契約書の日付が違うが、印刷ミスがあったとでも言って来月に差し替えてもらえば済む。
2階へと戻り怒られたような顔をして伝える。
「なんとか店長決済もらいました。よろしくお願いします」
喜ぶ2人を前に契約書を作成した。

営業所に戻ると残っていたのは店長だけだった。
「お疲れさん、どうだった?」
店長の問いに少し残念な顔をしながら答える。
「いや~あと+10万ですね。予算ガチガチです」
店長は腕組みをしながら、煙草を咥えたまま煙を吐く。
「もう今月は厳しいしな~、また来週考えよう」
店長と2人で店を閉め、私はウキウキしながら家に帰った。

翌月最初のイベント初日。
寿司屋の店休日は日曜日なので今日は何もする事が無い。
順番で回ってくる店頭応対を淡々とこなしながら翌日を待っていた。
ここで事件が発生する。
マネージャーが商談から戻ってくると店長に告げた。
「店長~あれ決まったよ、7台入るから」
事務所内が一瞬間を置いて盛り上がる。
「マネージャー!よく取ってきた!ありがとう!」
店長が大歓喜で本社へ電話する。
「あ!〇〇店です。今週+1台の7台達成しました」
マネージャーが法人客から7台の一括受注を取ってきていた。
全店舗でノルマ達成1番乗りという嬉しい事態とは裏腹に、私にとっては非常に困った事態になった。
これでは明日の値引きも期待できない。
しかし時はまだ月初。
僅かな望みに託して私は明日を迎えた。

日曜日は寿司屋に直行の旨を伝え、自宅でゆっくりしていた。
今でいうフレックスタイム制である。
意を決して店長に電話をする。
「広田です。店長、あと10万もらえれば決まります!」
客先からの電話を装い、私は迫真の演技で店長に迫る。
しかし店長からの返事はある意味予想通りだった。
「ん~10万は厳しいな。先週やった5万でなんとかしてくれ」
「駄目なら無理しなくてもいいぞ」
全店舗ノルマ達成1番乗りの店長は余裕で答える。
考えても仕方ない。
後がなくなった私は寿司屋へと向かった。

寿司屋の駐車場に車を止め、住居用のインターホンを鳴らす。
「あら、広田さん、先日はどうも。どうぞ~」
奥さんが優しく迎え入れてくる。
「お~先週はありがとうな」
ご主人も上機嫌である。
本来であれば居心地が良いであろうこの空間で、私は申し訳ない顔で切り出した。
「すみません、先週の注文ですが、私の手違いで当初の値引き以上は出来ないと言われました」
「本当に申し訳ございません」
頭を下げる私に奥さんはお茶を出しながら言う。
「え~それは残念ね。どうしましょう?お父さん」
奥さんはご主人に返事を委ねた。
私は顔を上げ、ご主人の顔を見る。
ご主人は静かに怒っていた。
「いや、広田さんさ、俺はあの契約で契約したんだよ」
「今さら契約は出来ませんってのは筋が通らなくないかい?」

ごもっともである。

「手違いは君の都合だ。私には関係ない。とにかくあの契約で話を進めてくれ」
当たり前田のクラッカーで返す言葉もない。
私は腹を決めて伝える。
「仰る通りです。分かりました、何とかします」
頷くご主人を横目で見ながら奥さんが言う。
「でも出来ないんでしょ?大丈夫なの?」
遮るようにご主人が言う。
「お前は黙ってろ。広田さんが何とかするって言ってるんだ。男が腹決めてるんだから女が口を挟むな」
とりあえず私は店を後にした。

コンビニで弁当を買い営業所へ戻る。
店長は新人の付き添いで出掛けているらしく話が出来ない。
弁当を食べながら色々と模索するが、解決方法は一つしかないようだ。
値引きを増やさずに客の予算に合わせるためには自腹で10万出すしかない。
この1台で私が稼げる報奨金は3万円程度なので大赤字である。
しかし台数という数字は残ると自分自身を納得させ、客の予算で注文書と契約書を作成した。
注文書を店長の机に置き、再度客の家に向かう。

先月もらっていた契約書を客に返し、先ほど作った契約書を渡す。
「で、広田さん、どうやって金額合わせたの?」
私は素直に言った。
「私のミスなので自腹で合わせます」
奥さんが「それは駄目よ」と言いかけるがご主人が遮る。
「うん、分かった。じゃあ納車を楽しみにしてるよ」
「はい、納車日が決まりましたらご連絡差し上げます」
帰り際、ごめんなさいねと謝る奥さんに笑顔で首を振り、私は営業所へと戻った。
営業所に戻ると店長が笑顔で話しかけてくる。
「広田~やれば出来るじゃん、今週は大収穫だな」
浮かれる店長に私も作り笑顔で応えた。

納車の日、午前11時に自宅での納車希望だったため、私は新車に乗って客先へと向かった。
駐車場に着くと休日だったがお店の扉は開いて電気が点いていた。
夫婦揃って店の中で待っていたようだ。
「お待たせしました。確認していますがお客様の方でも一通り確認してください」
ご主人は傷が無いかを一通り確認し、「大丈夫だよ」と言った。
奥さんに主な使い方を説明し、納品書にサインをもらう。
店内で奥さんがお茶を淹れてくれた。
お店の湯飲みなので分厚くごつい。
唐突にご主人が言う。
「広田さん、飯は?」
「あ、まだです」
予期せぬ質問にビックリしながら答えるとご主人は立ち上がって言った。
「じゃあ寿司握るから食っていきな」
そう言うとご主人は厨房に入り前掛けを身に着ける。
ネタを手際よく切り分けると寿司を握り私の前に出してくれた。
「どんどん食ってくれ。ケースにあるネタなら好きなもの言ってよ」
出された寿司を食べたが素直に美味かった。
回転寿司も好きだが、しっかりとした寿司は違う料理だと今でも思う。
「いや、本当においしいです」
そう言うとご主人は自慢そうに「そうだろ?」とほほ笑む。
出されたネタを全て頂き箸を置こうとするが、ご主人がダメダメと手を振る。
「男がそれだけで腹いっぱいにはならんやろ。遠慮が嫌いだからホント、好きなネタ言って」
ご主人のこの言葉で遠慮する方が失礼だなと思い、私は普段食べないようなネタまで存分に頂いた。

「ご馳走様でした。お世辞抜きで本当においしかったです」
お礼を言い帰り支度をしているとご主人が微笑みながら聞いてきた。
「毎月1回、広田さんが休みの日にでもうちに寄んなよ」
意味が分からなかったので聞き返した。
「それは点検とかそんな類ですか?」
ご主人は首を横に振りながら答える。
「いやいや、そうじゃなくてさ。月に1回だけど食べにおいでよ」
「僕が広田さんにご馳走するから」
なんと毎月回らない寿司が無料で食べられる。
有難いのだがそこまでされると遠慮も出てくる。
私の気持ちを察してかご主人が続ける。
「広田さんは自腹を切って約束を守ったでしょ」
「だからその気持ちに僕が出来る範囲でお返しするだけ。遠慮はいらないよ」

この車も残念ながら初回車検を迎える前に私は地元に帰る事になる。
本当に毎月通わせて頂きお寿司をご馳走になった。
2年半通ったとしても30回。
金額に換算するのも野暮だが、自腹分は優に超えているだろう。
この記事を書くにあたってGoogleマップを見てみたが、お店があった場所は道路が拡張されていてお店は見つけられなかった。
noteを通してだがお礼を書く。

「ご馳走様でした」

営業マンたるもの、自分の言葉には責任を持つ事。

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