エッセイ#2 「カレー&アラカルトディッシュ ヴァカンツァ」の思い出
僕のnoteのヘッダーをみたことはありますか?
人間ドラマモノ短編漫画の舞台っぽい趣のある風景写真(個人の感想)ですが、知らない人がみたら、僕のプロフィールからこの写真な理由ってサッパリですよね。
真ん中の黄色い看板にある「カレー&アラカルトディッシュ」を見てもらえばわかる通り、このお店はカレー屋さんです。
お店の名前は「ヴァカンツァ」、僕たちの間では「カンツァ」と呼ばれていました。
ヘッダーの元の写真はこちら。
ここまで読んで食べログなどで調べた皆さん。
すみません、ヴァカンツァはすでに閉店しています。
今回は、僕たちのサークルの居場所であり、僕の大学生活を語る上で欠かすことができない「ヴァカンツァ」について少しだけ思い出をお話したいと思います。
思い出を話したくなった理由「皿が割れた」
本当そのまんまです。
カンツァからお店の食器やら漫画やらを譲ってもらいまして、今も大事に使っています。
その中の平皿がついこないだ、皿洗い中に割れてしまいました。
まさに今これを執筆しているとき、正確には前の文章の「平皿がついこないだ、」をカタカタと打っているときにふと思ったのですが、金継ぎしたら良かった。
ちょうど割れた2日後が燃えないゴミの日だったので後の祭りです。
どうして普段燃えないゴミの日を忘れがちなのに、こんなときに限って忘れずにゴミ出しできちゃったのか。
自分で自分を褒めたことも含めてキーボードを打ちながら凹んでいます。
お焚き上げとして、せめて割れる前の料理を盛り付けた写真を見てあげてください。
あー、金継ぎしたらよかった。
話を戻すと、割れた平皿を呆然と眺めながら久しぶりにカンツァに思いを馳せたのです。
割れる直前まで宇多田ヒカルの「光」のMVごっこに興じて皿洗いをしていたとは思えない哀愁を垂れ流していたに違いありません。
ヴァカンツァとの出会い
カンツァとの出会いは学部1年生のころの1月か2月。
その時期あたりから一緒に遊ぶことが増えたサークルの友達がやっていたアニソンバンドのライブの日に「お弁当をお願いしているからお店に取りに行こう」と車で一緒に向かったお店がヴァカンツァでした。
お店に着くと黒いシャツを着た店長の藤本さんがいました。
このとき、今よりもかなり引っ込み思案な僕は軽く挨拶をした程度で、ほとんど藤本さんと話していません。
そして、お弁当でお気づきかと思いますが、僕の初めてのカンツァの味はカレーではないです。
…お弁当おしかったよ!藤本さん!!!
気づいたら入り浸るように
それから程なく、実際にお店に食べに行くようになりました。
藤本さん、初めてお店で注文したのはカレーだよ!美味しかったよ!
そのときの写真はないけどカレーの写真はありました。
お弁当を頼んでいた友達の仲良しのお店だったので、次第にサークルのみんなが足を運ぶようになりました。めちゃくちゃ居心地がよかったんですよね。
気づいたらサークルのメンバーの誕生日会、ライブ後のバンドの打ち上げ、ハロウィンやクリスマスパーティ、卒業祝いといろんなイベントをカンツァで開いてもらいました。
そして、もう一つ。
気づいたら、カレーよりも定食を注文することのほうが増えてました!
もちろんカレーもとても美味しいのですが、定食もね、それはそれは美味しくて。
僕が頻繁に注文していたのは「鷄さん玉さん定食」(僕がそう言っていただけ)で、とり天とフライドオニオンの定食でした。
あんなに頼んでたのに写真が残ってなかった…。
現存するカレー以外の料理の写真はこちら。
ね、めっちゃ美味しそうでしょ!
実際とても美味しいです!
もはや僕たちにとって第2の会室(サークルの部室のことを会室って言っていました)となったカンツァ。
なぜ、ここまで入り浸ったのか。
ご飯が美味しく学生にとってかなり良心的な価格設定もさることながら、店長の藤本さんの存在が大きかったと思います。
店長の藤本さん
ヴァカンツァは店長の藤本さんが1人でやっているお店です。
そんな藤本さんは僕と初対面のとき38歳でした(この前、今の年齢を聞いたばっかりだから多分あってる)。
あと2年で出会った頃の藤本さんと同い歳だなんて…!
大学生からしてみれば一回り以上違うんだから、かなり歳上です。
普段19〜24、25歳ぐらいまでの人としか話さない大学生、大人といえば大学の先生かバイト先の人ぐらいで少し大人と距離がある中、藤本さんは異質でした。
なんというか、もう、びっくりするぐらいフレンドリーなんですよね。
たとえば
ライブにも飲み会にも高頻度で参加してた
仕事終わりに突然家に遊びに来る(本当に突然)
あるときにはサークルの夏旅行に突然飛び入りで花火しに長崎まで来る
学祭で1人大学生に混じって一緒に進撃の巨人のコスプレしてた
などなど、サークルメンバーでは?ぐらい溶け込んでいました。
いや、サークルメンバーでは?ではなく最早サークルメンバーですね。
僕が上京してからも現役のサークルの子達と遊んでいるようで、今となっては僕より現在のサークルに詳しいし、認知されている存在だと思います。
僕たちのサークルは今でこそ真っ当な軽音サークルになったらしいですが、当時、軽音サークルの中では歴史的にも人数的にも学内最弱の立場でした。
楽器未経験の人でも入りやすいサークルを謳っていましたが、どちらかというとあんまり大学雰囲気などに馴染めない人が入りやすいサークルでした。僕も例に漏れずその一人です。
そんな僕でも接しやすい藤本さんの人柄があったからこそ、最高に居心地が良かったのです。
カンツァ愛が溢れて、同期がカンツァの曲をつくって弾き語りしたりもしてたな。
ここ数年はサークルにいた人たちの結婚式に藤本さんは結構呼ばれるし、乾杯の挨拶をお願いされることもあることからも慕われ具合が伺えます。
ちなみに僕のお気に入りは、営業終了の0時直前ぐらいに行って誰もお客さんのいないカンツァで藤本さんとご飯食べながらダラダラお話することでした。
藤本さんがたまにビールを出してくれて一緒に飲むのも楽しかった。
今になって思えば、明日も仕事の人のところによくまあそんな通い方したなと、ごめんよ藤本さん。
カンツァ、閉店するってよ
そんな、僕たちの心と身体の栄養を支え続けてくれたカンツァですが、在学中に閉店が決まります。
変わらず在り続けてくれると勝手に思っていた僕たちに衝撃が走りました。
店を畳んで、別のお店で働くとのことでした。
名残惜しさを感じつつ、最後のカンツァライフを過ごし、閉店日にもその後の片付けの日にもみんなでいきました。
片付けの日、店内で焼き肉をしたので、逆に散らかしてたのかもしれません。。。
割れたお皿はそのときに譲ってもらったものです。
閉店のときに「これからさみしくなるなあ」なんて思っていたのか、いなかったのかはあまり覚えていませんが、蓋を開けてみれば全然さみしくはなかったです。
結局かわらず一緒に遊んでいた
藤本さんは別のお店で働くようになってからも変わらず遊んでくれてました。
程なくして、カンツァほどの頻度ではないけど、藤本さんが働いているお店に僕たちが行き始めました。
なんならそこでバイトを始める人もいました。
つまり藤本さんとはカンツァがなくなってからもずっと一緒に遊んでいたので、カンツァの味が懐かしいって思うことはあれど、さみしくはなかったんですよね。
仕事終わりの夜中によく僕の家にも遊びに来てました。
………明日も学校の僕のところに夜中2時とかに来てたってことはさっきのはおあいこでは?
歩くカンツァ
カレー屋の話かと思ったらほとんど店長の話になったな。
かなり歳の差はあるけど、僕と藤本さんの関係は友達です。
ずっと前からタメ口で話してるし、関係ない人が端からみたら失礼だと言う人もいるかもしれません。ですが、友達以上に適切な表現は僕には思いつきません。
今でも福岡に帰ったらほぼほぼ連絡して一緒に飲んでます。
とどのつまり、藤本さんがいればいつだってどこだって、あのときのヴァカンツァと変わらない居心地があります。
そう、歩くカンツァです。
もちろんカンツァの味も未だに忘れてません。
昔、カンツァで目隠ししてレトルトカレーとカンツァのカレーで利きカレー大会したけど余裕でしたし今でもきっと余裕です。
カンツァの曲があると言いました、その曲のサビの歌詞はこう始まります。
歩くカンツァなので、つまり藤本さんが元気でいれば実現するわけですね。
あ、でもやりたくなったらもう一回ヴァカンツァやってくれても良いんだよ!笑
まあ、noteは見ないだろうからあれだけど、これからもよろしく!
お酒とタバコは程々にずっと健康でいてね!