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【第10回】 傷ついた癒し手 wounded healer 肺腺がんstage4

Medipathyという活動の振り返りです。
活動報告というより、僕が思ったことを本や映画などを踏まえて考察を深めています。ちなみに掲載順はバラバラです笑

今回のテーマは、「傷ついた癒し手 wounded healer」
オランダの牧師であり、大学教授でもあったHenri Nouwenの同名の本を参考にしました。現状、日本語訳はありません。

https://www.amazon.com/dp/0385148038

Medipathyとは主に、医療系学生が昨今の教育ではあまり機会のない、患者さんのお話を深聴き、語り合い、そして笑い合うをテーマに月に一度のペースで開催しています。
参加ご希望の方は、こちらのリンクのお問い合わせからどうぞー。

出会いはナンパ

「これまで、患者さんをどう集めてきましたか?」とよく質問されます。 僕は「最近は紹介が多いですが、始めた当初は知り合いの患者さんへのお願い、または知らない人へのナンパです。」 と答えています。真面目な顔で僕は答えているので、質問者はだいたい笑ってくれます。

半分ネタで、半分マジです。

ナンパの頻度は減ったのですが(今もたまにします笑)、始めた当初はお話しして頂ける患者さんをナンパしていました。ちなみに男・女は問いません。
数珠繋ぎで患者さんを紹介いただくという形もあります。しかし、そうすると病気や患者さんの属性に偏り生じてしまうので、あえて知らない世界や聞いたこともない病気に飛び込むためにナンパしています。

ですが一番の理由は「この人の話を聴きたい!」という僕の直感です。

Yさんは、オンラインのイベントで知り合い、その後にナンパしました笑 知り合ってからというもの、素敵な患者会と繋がれたり、学会での講演の機会を頂いたりと、当初は弱々しかった(今もですが)Medipathyを継続するきっかけを頂きました。

Yさんと出会うことができて良かったと思っています。 (ナンパが成功して良かった。。笑)

場の空気を包み込むプレゼン

一緒に登壇した学会シンポジウム

そんなYさんは2021年にお話頂き、その後色々なご縁を頂きました。 中でも、昨年の12月、縁あって仙台の学会でYさん達と講演。 研究者と薬剤師さんが座長、Yさん含めがん経験者2名と僕の計5人のユニットでシンポジウムでした。
各人20分くらいのの持ち時間。 トップバッターは僕。偉そうにプレゼンしました。
次はがん経験者さんのJさん。がん経験者という側面、製薬という側面を合わせた素敵なプレゼンでした。ちなみにJさんはお喋り好きで延長すると思ったので、僕は自分の時間を3分削りJさんにプレゼントしました。

そして、Yさん。
自作の絵を用いたスライドで、自身の体験を振り返るという非常にシンプルなプレゼンでした。ゆっくりと、柔らかく、しかし力強く。自身の語りだけで場の空気感を掴んでいったように思います。

一般的に素晴らしいプレゼンというものは、聞き手の行動を変えるものだと言われています。 プレゼンの目的は場を圧倒し、聞き手の意識を支配するものであるかもしれません。

一方、Yさんのプレゼンはどこか空気を温かく包み込むようなものでした。
話し方・プレゼン講座などで教えることのできない何かです。これは以前にもお話頂いた時も感じましたが、言語化するのは難しかったです。心理学の概念を借りて考察しようと思います。 

傷ついた癒し手

心理学者ユングによる概念

“傷ついた癒し手”という言葉は精神科医であり、心理学者のユングの言葉です。 ユングは精神分析学の祖であるフロイトとほぼ同時代に生きました。
フロイトは人間の無意識について研究しました。ざっくりフロイトの説明をすると、人間の無意識には「イド」「エゴ」「スーパーエゴ」の三つからなるというものです。(専門的な観点からすると、ほんとはもっと深いです。勉強不足なので許してください。)
ユングはフロイトの無意識からさらに深いところ深層心理学を研究しました。そして、分析心理学を確立し、人類には集合的無意識が存在することを提唱しました。
集合的無意識とは個人ではなく人類に普遍的に共通しているとされるものです。 集合的無意識にはいくつかタイプがあります。それをユングは元型(アーキタイプス)と名付けました。人にはあらゆる元型があるとされ、その理論は心理学やMBTIという性格診断などに応用されています。有名なMBTI診断はこちら↓まぁまぁおもろいです。
https://www.16personalities.com/ja
 
ユングが提唱した多種多様な元型の中に、“傷ついた癒し手”という概念があります。 元々はギリシア神話のケイローンからヒントを得た概念だそうです。
ケイローンは半身半馬の神で射手座のもとになりました。
(ユングの定義上、集合的無意識は神話にルーツがあるとされ、絶大なインパクトを与えた物語のプロットは神話と同じ形式をとっています。例えば、映画スターウォーズ、ロードオブザリングは集合的無意識をベースにした物語として有名です。ここを話すと長くなるので割愛します。詳しくは”千の顔を持つ英雄”で)

様々なストーリーに見られる傷ついた癒し手

そんな“傷ついた癒し手”という概念は、至る所で見受けられます。 例えば、手塚治虫の「ブラックジャック」 みなさんご存知、事故で顔面がツギハギになった外科医が人を助けていく話です。 かなり前の映画ですが、黒澤明の「酔いどれ天使」 戦後の日本、酔っ払いのヤブ医者とヤクザの話です。 もうすぐ新しい映画が放映されますが、「ドクターコトー診療所」 過去にトラウマを持った凄腕外科医が離島に赴任する話です。 手塚治虫や黒澤明が意図したかどうかはわかりませんが、これらは傷ついたからこそ、他者を癒す存在になるというメタファーを使っています。

昔から日本の物語で見られていましたが、西洋に目を向けると最後は十字架にかけられたキリストも傷ついた癒し手のプロットなのかもしれません。
最近ではハリウッドなどでも同じプロットが用いられているように感じます。以前のグローバルスタンダードであった完全無欠のムキムキマッチョなヒーローはステレオタイプになり、弱みを見せ、苦悩しているヒーローがよく見られる構成になっています。ちゃんと映画を見ていないのですが、アベンジャーズとかは回をおうごとにそんなプロットにシフトしていっているのかもしれません。 強さよりも弱みがある方が共感しやすいという面もあるのでしょうか。 

傷ついたからこそ、誰かを癒す存在になりうる。

ビジネスにおけるエモーショナルへのシフト

映画についての流れを示しましたが、ビジネスなどの大きな流れとしても、ロジック(理性)からエモーショナル(感性)へのシフトが起こっています。もはや古いデータですが、Googleはプロジェクトアリストテレスにおいて

「心理的安全性が高いチームは生産性が高い」

と結論付けました。心理的安全性とは、お互いが安心して弱みを見せ合え、自分らしく存在できることとされています。まだ理論が一部にしか浸透しておらず社会実装が追いついていない面もありますが、ティール組織も同じような哲学を持っていると思います。
つまり、24時間働けますか?売上第一!とかガチロジック(時には人を無視した)で進むよりも、チームが同じ価値観を有しその人らしくあれる方が生存戦略として望ましいのかもしれません。 そうあるためには、自分の弱いところも安心してさらけ出せ、受け止めてもらえる場が必要なんだと思います。そして、より生産的(機械にとって変わられないクリエイティブさを持つ)になるためにも、心理的安全性があらゆるところで求められると感じます。(というかそうなって欲しい。)

傷ついた癒し手としてのあり方

さて、話をYさんに戻します。
Yさんは肺腺がんstage4です。2人の思春期の子を持つ母親でもあります。死ぬまで抗がん剤治療を続けなければなりません。それでいて、Yさんの言葉には温もりがこもっています。その温かみはどこから来るのかというと、
おそらくYさん自身が傷ついた経験があること、そして相手に心理的に安全だと感じさせる力があるから。だと感じています。
傷ついたことがある人なら誰でも、癒し手になれるかというとそうでもありません。プレゼンの訓練をすれば良いというのでもないと思います。

この人になら言っても大丈夫。 この人だったら安心。

相手にそう思わせる空気感、雰囲気、言葉にはできない何かが必要だと思います。Yさんは空間において、優しく温かい空気感をつくりだすことのできる方です。会ったことのある方は言語化できない何かを感じると思います。

最初、僕はナンパしたと思っていました。でも、もしかすると、ナンパされるような場に引き込まれていたのかもしれません笑 

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