お別れはブロックでが表す意味とは
人間、どうしても時が経つと思考が変わるもんですよね
才刃りゅーです
X(旧Twitter)(Twitterでいいじゃん)のリムーブに対する人々の反応について長い間考えていました。
多分半年くらい
そしてついになんとなくその意味を分かるようになってきました。
そもそもブロック機能とは何なのか
本来のブロック機能は関わりたくない人に対し行います。
相手の発言を見えないようにし、尚且つ自分の発言が相手に見えないようになります。
これで両者発言が見えないな!
これが基本的な機能です。
それに加え副産物として以下が行われます
自分のフォローの解除
相手のフォローの解除
この副産物がブロックを利用される所以です
ブロックすることで一方的にフォローを外すことなく、相手のフォローも外れる
相互リムーブになるわけです
そしてブロックの解除を行なって、私たち関係もうないわよ!さよなら〜〜
これに関して、何故そんなことをするのか?
見たいからこそ相手はフォローしているのではないのか?と私は思っており、非常に不思議でありました。
見たいのに勝手に外れてたら不便だよね
まぁ、そうなると、テメー今後見るなよ!とも取れなくもない。(見るなよ!ならブロックのままだろうけど)
Twitterには、フォロー増やしと呼ばれるものがあり、一旦フォローしてフォローされたらしばらくしてフォローを解除すると言ったことをする人がおり、これが今回の大元の問題であると思う。
つまり、フォローを解除したことでお前数増やしかよと恨まれる可能性が出てくるのだ。
それを回避するために、この人とは話が合わないなど、見たくないとなった場合にブロックして相互フォローを解除するわけだ。
これがいちばんの要因だと思う
が、最近自分もブロックして解除でフォローを外したいと思うことがあった。
片思いにさせておくのが忍びないのだ
これまで、見たいからフォローしたんでしょ?のスタンスでやってきていたが、
このように、フォローしたからフォロー返しましたのような人がたくさん存在している。
申し訳ねぇとなるわけですよ
興味なくなっちゃったとかもうやっている事違うし、趣味嗜好も違うとなると外したくなることもある。
そこで無難なのがブロックして解除、ブロ解である
まぁ、使ったことはないのですけど。
他にもう見ない対応としてはミュートという機能があるが、ミュートは相互のままなのでフォローしていたら使える機能は使えちゃうわけで…って考えるとブロ解はもう関わりたくないですよってことか?
とにもかくにもですよ
色んな考えの人がいるわけで、
片思いは忍びないのでブロ解する人もいればブロックだと角が立つからブロ解してもう関わらないでねってパターンもあるわけです。
1.片思いにさせるのが申し訳ない
2.数増やしと思われたくない
3.関わりたくない
ブロ解されたら基本関わらない方が正解だろうなと思ったわけです
リムーブ、ミュートやブロック、ブロック解除
選択肢が増えた分、可能性も増えた面倒な文化である
あなたにお別れが訪れる際、どのようなお別れが良いですか?
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