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林真理子さんのイヤイヤ。
最近は「dマガジン」ていう定額雑誌配信サービスで下世話な週刊誌ばかり読んでいて、『週刊文春』に連載している林真理子さんやクドカンのエッセイとか好きです。
そういうのを読んでいて、何かこれと言って真新しい知見や価値観を得て興奮するようなことはないんだけど、じんわり気持ちが温かくなったり、「ふうん、そういうもんか」っていうちょっとした「知」の喜びがあって、静かに楽しんでます。
先日、石田衣良さんがメルマガでやってるショートショートを読んでいるときにも思ったのだけれど、エッセイとかコラムとか短編とかってもともとそういうもので、明確で壮大な結論なんていらないんだよな。
最近ブログとかネットでよく見かける(気がする)、目を見張るような分析や完璧な評論にばかり気をとられていたなあと思いました。目から鱗が落ちるような大発見なんて、日常にそうそう転がってないし、そんなのばっかりだと疲れちゃうよね。
林真理子さんは
「人の『聖域』にずかずか踏み込んでいく感じがイヤ」
とか
「そもそも四十代の女性、と年齢を書くところが本当にイヤ」
とか、イヤイヤばっかり言ってるんですけど、そういう物言いのほうがすんなり入ってくるんです。
明晰な分析とか正解とかじゃなくて、「私はこれがイヤ」っていう至極私的な感情を淡々と表明するだけ。だから誰かをディスっててもなんだかほんわかした気持ちになるし、ニヤニヤしちゃうこともあるし。
ブログもそういうところが楽しいのに、最近は誰もが「正解」ばっかり探してて、ちょっと息苦しいよね。
僕もどうせだから林真理子さんみたいに、自分のイヤイヤ好き好きばっかり言っていこうかな。
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