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脳から血を出してパイを食う。

生きるっていうのは、大小の選択の連続だ。

今日のお昼に何を食べるか、というような日常的なことから、十年後にどこで何をやっていたいか、なんて人生に関わる大きな決断まで、ぼくらは毎瞬間にありとあらゆる選択をして、ときに迷って、足を止めて真剣に考えて、自分なりの正解を見つけて生きていく。

若い頃は悩んでばかりいたぼくだけれど、四十年ちょっと生きて「不惑」というのを越えると、ようやっと自分なりの悩み方、答えの出し方のようなものが見えてきた。

ぼくはそれを自分で憶えやすいように「脳から血を出してパイを食う」と呼んでいる。

やり方はすごくシンプルで、まずもうとことん、脳から血が出るくらいまで徹底的にそのこと(迷いや悩み)について考えるのだ。それこそ仕事や日常生活や他人との交流が手につかなくなるくらい、朝から晩まで、果ては寝てる間夢の中でまで、常にそのことについて考える。

そこまで徹底的に考えると、だんだん頭がおかしくなってくる笑。

答えの出ないものはどれだけ考えても答えが出ないのだと悟ることもあるし、そんなに重要でない課題を考えすぎて自ら迷路に迷いこんでしまっていることに気づいて我に返ることもある。

そこまでいったら次は、それをすべてすっぽんぽんに忘れてしまう。

ウィル・スミスとトミー・リー・ジョーンズが出てるSFコメディ映画『MIB3』に

「俺のじいさん曰く『面倒が起きたら、パイを食ってそれを忘れろ』」

というセリフが出てくるんだけど、じいさんが言うように、とことんまで考えつくした後は「パイを食って忘れて」しまわないと、答えは出てこないのだ。

考えこんでいる間のぼくの頭はその課題だけにフォーカスし、執着し、思考が深くなる代わりに視野が狭くなっているんだけど、それを忘れて好きなもん食って酒でも飲んでマツコ・デラックスのテレビ番組なんかを見ていると、ようやく大きな観点からぽこんと答えが出てくる。頭がおかしくなるまで木を見たら、あとはアホ面下げて森を眺めていればいいのだ。

かつてのぼくのようにいつまでもずっと悩んでいる人というのは、この「脳から血が出るまで考える」のと「それをすっぽんぽんに忘れる」という二つのいずれかができていないんじゃないかと思う。

「脳から血が出る」っていうのは文字通り痛いから、すぐに考えるのをやめて書物や他人の価値観に逃げちゃうんだよね。「そのまんまでいいよ」って言ってくれる人にすがっちゃう。

ぼくらが自分の「ありのまんま」で生きたほうが幸せになれるというのは真実だけど、今の「そのまんま」でいいっていう意味じゃないからね。さあ、脳から血を出しましょう。

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