「死との向き合い方」を考えてみる
先日、映画『最高の人生の見つけ方』の鑑賞会に参加してきました。オンライン通話をしながら、各自がAmazon PrimeやNetflixなどの定額制の動画配信サービスを利用して鑑賞するという極めて現代的で合法的なシステムで行われていますのでご安心ください。
ネタバレもすると思うので、もし映画をご覧になっていない方は自己判断で読み進めてください。
あらすじ
「私の死」/「他者の死」との向き合い方
自分の死と向き合う
私は、近いか遠いか分からない未来の自分の死についてよく思いを馳せています。でも、この映画を観たとき、いつも死について考えている私でも死がまだ自分にとって身近なものになっていないことに気付かされました。
重い病気を患い、入院することになったカーター。死を強く意識するようになったカーターは「棺桶リスト」なるものを書き始めます。棺桶リストとは、要は「やりたいことリスト」みたいなものです。死ぬまでにやっておきたいことを書き出す、それが棺桶リストと呼ばれているようです。
とあることがきっかけで、同室で入院していたエドワードに「棺桶リスト」を読まれてしまいます。エドワードは余命6カ月~1年と診断された方で、彼も死を強く意識するようになっていました。
そんな二人が棺桶リストを完成させ、実際に行動に移して、最高の人生にしていくというのが本作の流れです。
カーターは学生の時の哲学の授業で棺桶リストを書かされたことがあるようで、そこには「大金を稼ぐ」「名声を得る」といったようなことを書いていたそうです。
しかしながら、死が現実味を帯びてきた彼が書いたのは
「荘厳な景色を見る」「赤の他人に親切にする」「涙が出るほど笑う」…
という、平凡でささやかなものでした。
なるほど…と思いました。本当に死を意識すると、人はありふれた日常がとても輝いて見えるのかもしれません。そして、周りの人にできるだけ感謝を伝えたい…そんな思いが出てくるのかもしれません。
自分自身も死を意識するとき、どうしても家族や友人、今まで私に関わってきてくださった人たちのことを考えてしまいますし、ありふれた風景や出来事が夢のような出来事だったように思えてくるので、カーターの思いはなんとなく理解できました。ただ、心のどこかで、「本当にそれでいいの?」という思いが湧いてくる自分もいたのです。それは今まで自覚できていなかったことなのですが、心のどこかで引っかかりは確かに感じていて、それを本作のエドワードという人物が気付かせてくれたように思います。
エドワードが「棺桶リスト」に書き加えた内容は
「スカイダイビングをする」「ライオン狩りに行く」「世界一の美女にキスをする」
といったようなものでした。自分の欲望全開の内容です。周りから見たら「え…」と困惑させるような内容かもしれませんが、これもとても大切な事なのではないかと私は思いました。
心のどこかでカーターの夢はどこか”他人事”のような気もしました。自分の夢というよりかは、他者を意識しすぎた夢のようにも思えるのです。できるだけ「きれい」だと思ってもらえるように死んでいく。死を意識したからこその”やりたいこと”だったのだとも思いますが、それと同時に、ある種「死ぬこと」を目的にしてしまった”やりたいこと”のようにも見えてきたのです。死が間近に迫っている患者として、そして綺麗に死ぬために設定したやりたいこと…それもやりたいことだと思うのですが、その一方で、”一部のやりたいこと”を抑圧してしまっているようにも思えました。そこをエドワードが自分の欲を全開にすることで崩してくれたのです。
死ぬことを目的にしない”やりたいこと”…これがエドワードの思うやりたいことだったのでしょう。
ただ、エドワードは棺桶リストの項目を実行していく中で、エドワード自身も目を背けていたことがらに気付きます。それは、娘と再会する事。4度の結婚を経験し、最終的に独身生活を送っていたエドワードには娘がいたのです。カーターに「娘さんと会った方がいい」と勧められていたものの、その娘と会うことをエドワードはひたすら拒んでいました。しかし、カーターの死がきっかけになったのか、エドワードは死ぬ前に娘さんと再会することができました。そのときのどことなく恥ずかしそうで、それでいて幸せそうな表情が強く印象に残っています。
この作品を観て思ったのは、人は、死を意識して自分のやりたいことを考えたとき、何らかの「抑圧」「ストッパー」が働く可能性があるということです。自分の欲望を満たすことも、謙虚な姿勢で他者の為に尽くすこともどちらも大切な事なのかもしれません。この両者の視点をバランスよく持っておくことが、「最高の人生」にする上で大事なことなのかもしれない、と私は思いました。
他者の死と向き合うこと
カーターという人物には妻と子どもがいます。妻・バージニアがこの物語において、結構重要なポジションにいるように思いました。
バージニアは、カーターがエドワードと一緒に病院を抜け出して棺桶リストの内容を実現させていくことに反対していました。
「療養に専念して少しでも長く生きてほしい」
という思いがあったようです。
このバージニアの思いには強い共感を覚えたのですが、でも同時に違和感も感じざるを得ませんでした。
「療養に専念して少しでも長く生きてほしい」
「愛する人ともっと一緒に生きていたい」
という思いにはとても納得できます。しかも、すごく愛のある言葉のように思えます。
しかしながら、これは非常に嫌な見方をすると、
「私のために長生きして」
「あなたとより長い時間を共有することで、死をゆっくり受け入れていきたい」
という、自分のための言葉でもあったように思います。そこに、カーターへの気持ちは入っていないのです。バージニア自身が、愛する人の死を受け入れるために、「治療に専念してもっと一緒にいてほしい」と言っているようにも聞こえたのです。本当に嫌な見方ですみません。でも、カーターからしてみればバージニアの言葉がそのように受け入れられても仕方ないように思います。だからこそ、カーターはバージニアが「違う病院に移りましょう」と提案したことも拒否したのだと思いました。
”死”を意識せざるを得ない状態になった時、それは、本人だけでなく、周りの人間もその人の死を受け入れる準備をしていかなくてはなりません。だからこそ、いくらバージニアの台詞にエゴが含まれていようとも、それは非難してはならないと思います。しかしそれと同時に、周りの人間は、死と直接向き合っている本人の気持ちを無視してしまう恐れがある、ということを自覚しなければならない、とも思いました。
カーターはエドワードと一緒に過ごすだけでなく、ちゃんと妻や子どもと過ごす時間も確保しました。そこに本当の愛みたいなものを感じました。直接死と向き合う側も、自分が後悔しないようにするためには、大切な人の気持ちも尊重するということが必要なのだと思いました。
”後悔のない死”というのは自分よがりでは決して達成できないものなのかもしれません。
自分にとっての「幸福な人生」とは何なのか
この映画を機に、自分も幸福な人生について考えてみました。
まだまだ死が現実味を帯びてない状態ですが、正直いつ死ぬか分からないので、こうやって今の内から考えておくことは大切な事かと思っています。
色々考えた結果、自分の思う幸福な人生は「自分のことも他者のことも認められる」そんな生き方かな、と思いました。
綺麗ごとですみません。でも、本気で思っています。
今の自分は訳あって、まだ自分のことを心の底から認められていないように感じています。強迫的で自己破壊的な側面が大きいのですが、それはやはり自分のことを認められていないからなのだと思います。その原因は当事者研究やカウンセリングなどを通じてなんとなく分かってきています。おそらく、「愛着形成」に問題があったのだと思っています。自分の気持ちや話をちゃんと聞いてもらえなかった・受け止めてもらえなかった…そういう経験が自分を受け入れられない自分を作り上げているのでしょう。
その影響か、自分は自分のことを認めたいという気持ち以上に他者のことも認めたいという気持ちもおそらく人一倍あります。だからこそ、人と密に関わるような仕事をしているのだと思います。どうすればその人を認めることができるのか、どうすれば自己肯定感を身につけて相手の気持ちも自分の気持ちも大切にできるバランス感覚を持った幸せな人生を歩んでもらえるか、そんなことばかり考えています。もしこれが実現できたなら、少しは自分のことを認められるような気がする…そんな期待も含まれています。
根本の原因を解決するにはもっと別のアプローチが必要だという事は分かっているのですが、それを実現するのは非常に困難な状況にあります。だから、子どもや一緒に働いている職員、そして友人をいかに認めて大切にできるか…そういう方向にシフトしていっています。
正直、他人を認めるってすごく難しいことです。自分を認められていない状態なら尚更。でもなんとか実現していきたいと思っています。それが自分の幸福な人生に繋がっていく、と今は思っているので。自分の言動には意図しない加害性が含まれている可能性を認めつつも優しさもあることにも気付き、多様性を受け入れられるだけの教養と余白(心の余裕)を持ち、自分には自分の歴史的背景、相手には相手の歴史的な背景があることを忘れないようにし、対話的な姿勢で接することが大切なのだと考えています。
自分の人生が幸福なものになるかどうか…全く見当もつきませんが、今の自分にできることをやっていくしかありません。自分本当にやりたいことは何なのか、常に自分に問い続けたいと思います。
『最高の人生の見つけ方』とてもいい映画でした。
まだAmazon Primeでも見れますし、TSUTAYA等でレンタルもできると思うので、気になった方はぜひ見てほしいです。
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