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【書評】岸政彦『断片的なものの社会学』

ただ流れていくだけの時間や言葉を意識したことはありますか?
意味があるかもしれないし、意味がないかもしれないもの。そういうものに思いを馳せたことはありますか??

今回紹介する岸政彦さんの「断片的なものの社会学」は、そんな私たちの日常の断片を切り取り、ただそれを見つめていくような本です。
それにどんな意味があるのかは分からないですが、読んだ人は何かを感じることができるかもしれません。
通り過ぎていく日常の断片。そこに不思議な魅力があることをこの本は教えてくれます。
とても温かい気持ちになれる本です。

本書の基本情報

基本情報

タイトル:『断片的なものの社会学』
著者:岸政彦(社会学者・立命館大学大学院教授)
出版社:朝日出版社
価格:1,560円+税
ページ数:241p
ISBN:978-4-255-00851-6

推薦文(本の帯より)

ひさしぶりに、読み終わるのが惜しいような本に出会った
 -上野千鶴子
社会全体の未来を見据えた「ことば」
 -高橋源一郎
この本は何も教えてはくれない。ただ深く豊かに惑うだけだ。そしてずっと、黙ってそばにいてくれる。小石や犬のように。私はこの本を必要としている。
 -星野智幸
この本は、奇妙な「外部」に読者を連れていく。大冒険ではない。奇妙に断片的なシーンの集まりとしての社会。一瞬きらめく違和感。それらを映画的につないでいく著者の編集技術には、ズルさを感じもする。美しすぎる。
 -千葉雅也
世界を理解する手立ての一端を、全身全霊で提示する社会学者の内省が胸に迫って忘れがたい。
 ー平松洋子

引用元:『断片的なものの社会学』本の帯より

おすすめポイント

ただ過ぎていくだけの日常が少し愛おしくなる。

この本には、いくつもの断片的な物語が載っています。
意識していなければ、誰にも気づかれないままに過ぎ去っていくような、そんな物語。著者の言葉を借りれば、「誰にも隠されていないが、誰の目にも触れない」そういう物語だ。
誰の記憶にも残らなかったと言えば、それは無意味なものになるのかもしれません。でも、そんな無意味なものが、世界には溢れていて、それは時間となり、誰かの人生となり、流れていっているのです。それを誰かと共有することもあるし、一人でただ感じるだけなのかもしれない。
なんだか、こんな風に考えると、じつはこんな時間こそが私たちが大切にすべきものなのかもしれません。

岸さんは”かけがえなのいもの”について、このように語っています。

(…)かけがえのないものは、それが知られないこと、失われることによって現れる。だとすれば、もっともかけがえのないものは、「私たち」にとってすら、そもそもはじめから与えられていないものであり、失われることも断ち切られることもなく、知られることも思い浮かべられることも、いかなる感情を呼び起こされることもないような何かである。

引用元:『断片的なものの社会学』p.30-31

なんだか、こう考えるととてもロマンチックでノスタルジックなもののように思えてきます。
ただ、この本の断片的な物語の数々を読んでいると、その言葉で表現しがたい”美しさ”をいつのまにか感じていることに気付きます。読んでいてとても不思議な感覚でした。
日々に忙殺され、目的のためだけに生きてしまっている私たちに今必要なのは、今目の前にある、何の意味があるのか分からないようなそんな光景なのかもしれません。

答えを求めず、問いのままにしておくことの心地よさ。

私たちは、価値を見出すことに喜びを感じています。それと同時に、価値を見出せなかった自分に焦り失望することもあります。
「答えを出して、称賛される」、誰かに褒めてもらう。終わることのない欲求を日々感じながら生きています。

でも、この世の中には断片的な物語で溢れています。無意味に流れる時間が人生のほとんどを占めているような気もします。これは抗いようもない事実で、避けることのできない現実だとも思います。
”答え”や”目的”を無理に見つける必要なんてないんじゃないのでしょうか。ただ、目の前の事実と向き合う。好きなことを全力で楽しむ。その行為の先に答えがある、というか、答えや目的はもしかしたら後からついてくるものなのかもしれません。

この本の中でも、数々の物語のなかから、”答え”や”目的”のようなものが見え隠れしてきます。ここに面白さがあるなと思います。
でも、著者は答えにしてしまわない。問いは問いのままに、無意味なものを無意味なままにしておきます。でも、そのなかに何か感じるものがあって、その感覚を大切にされているような印象を受けました。

いくつか素敵だなと思った文章を紹介していきます。

辛いときの反射的な笑いも、当事者にとってネタにされた自虐的な笑いも、どちらも私は、人間の自由というもの、そのものだと思う。人間の自由は、無限の可能性や、かけがえのない自己実現などといったお題目とは関係がない。それは、そういう大きな、勇ましい物語のなかにはない。

引用元:『断片的なものの社会学』p.98

誰にも知られない時間、というものがある。だが、私たちは、その「誰にも知られない時間」というものがある、という端的な事実を、おたがいに知っている。それを共有することはできないとしても。

引用元:『断片的なものの社会学』p.144

本人を尊重する、というかたちでの搾取がある。そしてまた、本人を心配する、というかたちでの、おしつけがましい介入がある。

引用元:『断片的なものの社会学』p.207

いかがでしょうか。
この文章に少しでも心に残ったならば、この本はあなたにとってとても大切な一冊になるかもしれません。

解釈できない出来事があふれかえる世界で、ただ答えを探すためじゃなく、解釈できない出来事を解釈できない出来事としてただただ見つめていくという行為。その心地よさをこの文章とともに味わってほしいなと思っています。

まとめ

私は、当事者研究や哲学カフェに参加するなかで、「問いを問いのままにしておくこと」の大切さを学びました。
目的を定めて話を進めると、その目的に向かった話し合いになります。それはそれで重要な事なのですが、その周辺にある出来事やちょっとした違和感に気付くことができなくなってしまう恐れがあります。
「答え」を決めてしまうと、私見る世界がとても窮屈に感じられるようにもなりました。人の語りを聞く余裕もなくなりました。誰かを攻め立てなくなる感情が湧きあがってもきました。

今、目的があること、意味があることに価値が置かれがちです。
資本主義社会というのは、そういう社会なのだと思います。
本当にかけがえのないものはもっと他にあるかもしれないのに、私たちはそれを見ないふりをして、自分が縛られ、傷ついていることに無自覚のまま疲弊していきます。

この本を読んで、意味のなさそうな断片的な物語に浸ってみてほしいなと思います。こ

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