#46 思い出の街/泖
【往復書簡 #46 のやりとり】
月曜日:及川恵子〈好きと嫌いを、行ったり来たり〉
水曜日:泖〈深い深い奥底のほうで〉
金曜日:くろさわかな
深い深い奥底のほうで
齢29。いや、もうすぐ齢30。
出身地の宮城県以外で、いままで訪れた地は歳の割にそれほど多くない気がします。
アメリカ、中国、オーストラリア、東京、埼玉、沖縄、神奈川、直島、豊島、静岡、新潟、京都、山形、岩手、福島、秋田、石川、福井、栃木、茨城、千葉。
住んだことがあるのは東京、静岡、新潟。
一気に書き出してみたら「あれ、思ったよりいろんなところに行ってるな」とちょっと驚いてます。
最初は一番居心地の良かった新潟のことを書こうと思ったんですけど、わたしの意識下の深い深い奥底のほうでチラチラと見え隠れする ”まち” に気がつきました。
もう10年くらい行ってないけど、こんなに心に深く刻まれてるってことはきっとわたしにとってここが一番の思い出が詰まっているんだろうな。ということで、沖縄県がわたしの「思い出の街」なんだと思います。
沖縄県には2回ほど行ったことがあります。
1回目は家族旅行。たぶん、小学校に入学してるか、してないかくらいのときだったとも思います。沖縄で初めてブルーハワイを飲んで、ベロが真っ青になったことに衝撃を受けた記憶は残っています。
2回目は高校の修学旅行です。わたしの代は沖縄か関西かを選べたんですけど、迷わず沖縄を選びました。
沖縄のなかでも、修学旅行2日目の予定を決めるコースが3つほど用意されていました。パイナップル農園コースと、シーカヤックコース。あと一つは忘れました。当時仲の良かった子達6人で「パイナップル農園コースにしようね」という暗黙の了解みたいなものがあったんですけど、わたしはそれを感じ取りつつも、パイナップル農園を上品に見学するよりも恩納村でシーカヤックをしたかったので、ここでも迷わずシーカヤックコースを選びました。確信犯です。
案の定、みんなから「なんで一人だけシーカヤック!?」って言われたんですけど、「えへへ〜」な感じで難を逃れました。協調性ゼロです。
その後に6人のうちの1人、さっちゃんが「実はわたしもシーカヤック」とコソッと教えてくれて、2人で行動することが決まりました。
2回目の沖縄旅行は、さっちゃんとの思い出が詰まっていると言っても良いでしょう。
シーカヤックを体験する前、移動中のバスでさっちゃんと「どさくさに紛れて海に落っこちようね〜!」なんて興奮していました。
いざ講習を受けて海に入ろうとしたら、わたしたちの魂胆を見透かしたインストラクターから「シーカヤックで海に落っこちるとプロでも上がるの難しいからやめてね」と警告され、「……や、やめようか……」とあっけなく野望が消え去ることとなりました。
無事、恩納村でシーカヤックコースを終えたわたしとさっちゃんは、他の仲間たちと合流。仲間たちは「パイナップルコース、すげぇつまんなかった。ぜったいシーカヤックだったわ」と口を尖らせていました。わたしとさっちゃんは「シーカヤック選んで良かった〜」とアイコンタクト。
それからなんとなく、6人でいてもさっちゃんと2人になることが増えて、美ら海水族館近くのビーチでも一緒に過ごしていました。
くだらなすぎる話とか、これからの進路のこととか、夕方の海で語り合うというすごくエモい展開でした。青春してる感。
そんなさっちゃんとの時間以外にも、心に残っているシーンがあって。
万座毛の美しい景色や圧巻の首里城もそうなんですけど、平和記念公園に広がるおびただしい量の慰霊碑がずっと、いまでも頭に焼きついています。
もともと小学生の頃から戦争や紛争、ホロコーストなどについて敏感に反応する学生だったのですが、実際にあれだけの慰霊碑に刻まれた名前の数を見ると、いたたまれない気持ちになったのを覚えています。
どれだけの痛かったろう。どれだけ悲しかったろう。どれだけ悔しかったろう。どれだけ不安だったろう。などなど。いろいろ考えると、安直かもしれないけど平和を願わずにはいられませんでした。
修学旅行で戦争を体験した方のお話も聞けました。歴史の教科書や資料集だけでは感じ取れない、それはそれは生々しく、壮絶な体験のお話でした。
お話の最後には、戦時中、その方の太ももに受けた手榴弾の傷を見せてくれました。その方は泣いていました。泣きながら太ももの傷を、女子高生50人ほどの前に立って見せてくれました。涙が止まりませんでした。というか、自分には壮絶すぎて、涙を流すしか術がなかったんです。
戦争体験者の方にお礼の手紙を読んだ同級生も涙が止まらなかった様子で、もはやお礼の手紙が読めなくなっていました。そんな同級生を、戦争体験者の方がきつく抱きしめてくれていました。あのシーンも、たぶん死ぬまで忘れないと思います。
あれからもう10年経っているのか、と思うと、わたしはまだまだ自分にできることを十分にできていない気がして、いてもたってもいられなくなります。
そもそも、わたしが美術活動をしているのも、根底には「戦争や紛争などの暴力的で無意味な争いごとをなくしたい」という想いがありまして。こんなの理想論でしかないし甘いと言われればそれまでなんですけど、やっぱり、もっともっと、地道な対話が必要だと思うのです。
去年、くろさわさんと『ちむぐりさ』という映画を観ました。
沖縄にはまだまだたくさんの問題があります。
わたしたちが見るべきは観光地だけではなくて、沖縄でいま起きていることだと思います。もちろん観光地を知ることも大切ですが。
いま、仙台駅の西口改札で沖縄フェアが開催されています。
実はわたしはシーサーが大好きなんです。その沖縄フェアで一目惚れしたシーサーがいたんですけど、なんとなく、レジには持って行けませんでした。
「いや、ちゃんと沖縄に行って買えよ」と思ったからです。
「こんな簡単に手に入るシーサーでお前は満足か?」
「仙台駅で買ったシーサーを、お前は堂々と机の上に飾る気か?」
「これで沖縄を知った気になるのか?」
否!
ちゃんと沖縄に行って買うよ!
一週間くらい休みとって、沖縄行きたいな。
3人で、沖縄に行きませんか?
追伸。
さっちゃん元気かな。
わたしが東京から引っ越してから、なんとなく連絡を取らずじまいになってしまったな。さっちゃんに会いたいな。
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