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#46 思い出の街/及川恵子

好きと嫌いを、行ったり来たり

「思い出の街」というお題を思いついて「函館のことを書こう」と思っていたら、私の函館愛の深さと高さと広さは、すでにこの記事で書いていたのでした。
どれだけ函館が好きなんだろう、私。

なので、私が育った街・石巻のことを書きます。

転勤族だった父の仕事の影響で石巻に住み始めたのは小学校3年生の時。
その直前まで福島県郡山市で過ごしていた私は福島なまりが取れなかったのか、初めての登校日にあいさつをしたあとすぐにクラスメイトから
「うわあ〜なまってるぅ〜」とからかわれ、「これからこんなやつらと過ごすのかよ…」と思ったのを今でも強く覚えています。

その時から、石巻が大っ嫌いです。

街がダサい。古い。覇気がない。活気がない。
海が汚い。
雨が降る前には海沿いに建つ工場から独特な匂いが襲ってくる。
(今ではだいぶ改善されたようですが)

そして、工業地帯ならではのガラの悪さ。
中学校の廊下で先生を殴るヤンキーを見かけるのは日常茶飯事。
体育館の窓ガラスを素手で割り、血が流れている拳を自慢げに見せてくる先輩に遭遇したときには「は、早くここから逃げ出したい…」と思ったものでした。

そういえば、高校時代にアルバイトをしていたところのオーナーから
「コマーシャルのことシーエムっていうけど、それ、英語でどう書くの?」と聞かれたこともあったなあ。
幼かった私にとって、日々起きる訳のわからなさを理解するにはまだまだ修行が足りませんでした。

しかし、石巻に対する嫌悪の気持ちは震災が起きてがらっと変わりました。
街のあちこちが壊れて、崩れて、何もない状態になったのを目の当たりにしたとき。
歩き慣れていたはずの道がどんなふうにそこにあったのかすらわからなくなっていたとき。
嫌いな街だったけど、ここで私は大きくなったんだよなあ。この街じゃなかったら今の私もなかったんだよな、と始めて石巻に向き合えたような気がしたんです。

そして、石巻の街に洗練された建物が建ち始めている今、
「石巻ってそうじゃないんだよ…」と思う私。
どう見ても田舎の港町に似つかわしくない、有名建築家がつくる斬新なデザインの建物が、そこに建っている。

ああ、腹が立つ…!!
石巻を全然わかってないくせにただただ真っ白くて大きいだけの建築物なんて建てやがって!! という気持ちです。
かと言って私が石巻にできることなんて何ひとつないですけどね。

石巻の隣町・東松島市には航空自衛隊松島基地があって、ブルーインパルスがよく上空を飛んでいたのですが、今となっては中学や高校の教室の窓からぼんやり眺めていたあの景色もすごかったなあ。
あの頃は急速で飛ぶ機体が隊列をつくって空にハートや星のマークを描くのを「ああ、またか」と思っていたし、飛ぶときにはかなりの轟音なのでうとましく思っていたけれど、思い返せば石巻でしか知り得ない感覚だったよなあ、と。

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こういうのとか

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こういうのが授業中に時々見れたのです。

ちなみにこの春、私の母校の中学校は閉校になりました。
卒業した女子校も数年前から共学になったし、小学校だって子どもの数が少ないようだし、建物はかなり古くなっているし、きっとあと少しで歴史も途絶えてしまうんだろうなあ。ああ、切ない。

でもそんなセンチメンタルな気持ちで車を走らせていたりすると、ガラの悪さゆえ運転が荒い人たちに遭遇しちゃって、「二度とこんな街に来るかよ!」なんて思っちゃうんだけどね。

及川恵子