下町と母親に包み込まれるような気持になる作品~映画『こんにちは、母さん』~

※ネタバレあります。







考えてみれば、東京の「下町」とは不思議な存在だと思います。
東京の中心部であり、現代日本を象徴するような建築物であるスカイツリーを間近に眺めるような場所でありながら、まさに「古き良き日本」をイメージさせるような町並みや人情が残っている場所。
自分は下町に住んだ経験もないので現実のところは知りませんが、そういったイメージがあります。

とくに大切なのが、いまだに残る「人情」の存在。
隣近所はもちろんのこと、良く知らない他人であっても困っていれば助け合う、そういった人の気持ちが残っているのは、下町を下町として存在させる、大切な要素でしょう。

映画『こんにちは、母さん』は、そんな下町を舞台とした、息子と母親の物語です。
この「母親」の存在も、人間にとっては大きいものですよね。
甘えたいときには甘えられるし、拒絶したいときには拒絶できる、そんな包容力が母親には備わっています。

大泉洋が演じる主人公・神崎昭夫は、仕事や家庭に悩みを抱えるサラリーマン。
大手企業の部長職、という他人からすればうらやましがられるような存在でありながら「いつも暗い顔をしている」と言われてしまうような哀しさを持つキャラクターです。
現代日本の父親像の象徴と言えるかもしれません。

一方、昭夫の母親である吉永小百合演じる神崎福江。
夫を亡くして老舗足袋屋をひとりで切り盛りしながら、ホームレスへのボランティアに精を出したり、教会の牧師さんへの恋心を抱いたりしながら、日々充実して過ごしています。
いかにも「下町のお母さん」といったイメージですね。

『こんにちは、母さん』は、この「下町」と「お母さん」の、いつでもだれでもありのままに受け入れてくれる、そんな包容力をしっかりと感じさせてくれる映画でした。
自分を自分として受け入れてくれる場所と存在がある、その大切さを改めて実感させられました。
制作側の思うツボでしょうが、そう感じてしまったんですから仕方ありませんね。

また神崎福江が、ただ「受け入れる母親」であるだけでなく、自分自身も「恋する女性」である点も、ストーリーに深みを与えていますね。
老人の恋愛は、高齢化社会が進むにつれて今後より一層大事なものとなっていくはずです。
昔であれば「年甲斐もなく……」なんて言われるのを恐れて堂々と恋愛できなかった高齢者もいたでしょうが、現在ではその考えは「古いもの」となりつつあります。
そういった意味で、昭夫が母親の恋愛を受け入れられないのに対して、孫娘(昭夫の娘)が祖母の恋愛に対して応援する立場であるのも、時代を反映させているのでしょう。

実際のところ、昭夫の気持ちもわからなくはないですが。
もし自分の母親が年を取ってから新しい恋愛をしている、と考えると、私でも複雑な気持ちにはなるでしょうしね。
「父親が死んだとは言っても、もう愛していないのか」みたいに感じてしまう可能性はあります。

ただ、福江さんも死別した夫に対する愛情を忘れてしまったわけでは、けっしてないでしょう。
孫娘と牧師さんへの思いを話し合う場面、ちょっと離れた場所から室内のふたりを映し出すアングルとなっていました。
「不思議なアングルだな」と思ったのですが、あれは仕事場に置いてある夫が愛用していたミシン、その位置からふたりを見守る構図となっていたのではないでしょうか。

福江さんは夫を忘れたわけではない、そのうえで新しい恋を見つけ、自分の人生を生き続けている。
そしてそれを、死んだ夫も優しく見守っている……そういった思いが込められた結果が、あのアングルだったのだ、と感じました。
実際にミシンの位置から撮影されていたのか、確証はないので、勘違いかもしれませんが。
下町に生きる人々の優しさを見せてくれた、美しいシーンだったと思います。

そして最後は会社を辞め、懐かしい実家で母親とともに生きることを決意した昭夫。
これからは実家の玄関を「こんにちは」ではなく「ただいま」と言ってくぐるわけです。
そんな姿を想像して、優しい気持ちにしてもらった映画でした。

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