人生もお芝居のようなもの……ってこと?~映画『アステロイド・シティ』~

※ネタバレしてる可能性あります。ご注意。







映画館でフライヤーを見つけて「あ、なんか面白そう」と思ったのが、この『アステロイド・シティ』。
この感覚、なんか既視感があるな……と思っていたら、ウェス・アンダーソン監督の前作『フレンチ・ディスパッチ』のときも、同じ感じで観に行ったのでした。
なんかポップでオシャレな感じが好きなのかもしれません。
私自身には、オシャレ要素は欠片もありませんが。

この『アステロイド・シティ』、わかりやすい映画かと言われれば、正直言って非常にわかりにくい映画ではあるでしょう。
かつて公演された演劇を振り返るテレビのドキュメンタリー番組、との形式で作られており、まず「演劇の中の世界」「演劇を作り上げている役者や作家たちの世界」が映画内で明確に分けられています。
さらに言えば、この2つの世界をまとめている「ドキュメンタリー番組の世界」もその外側に存在しており、三重の入れ子構造になっていると言えますね。

この中でメインとなっているのは、演劇である「アステロイド・シティ」の世界です。
この世界がフルカラーで描写されており、その外側である「現実の世界」2つはモノクロで描写されていることからも、それは明白でしょう。
そのため観ている私たちの感情は、どうしても「演劇の世界」に向けられていきます。

しかしこの映画で大切なのは、演劇の世界で起きている出来事そのものではなく、その世界を作り上げている、外側の「現実の世界」のほうなのではないでしょうか。
ひとつの世界を作り上げるために、そこに関わる役者や作家はときには悩み、ときには迷い、ときには他人の助力を求めます。
これは人間が、自分自身の人生を作り上げていくのと同じ構造です。

人間の人生は、自分ひとりで、何も考えずに作り上げるのは不可能です。
どうしても他者と関わり、悩み、迷い、他人の助力を求めて、よりよいものを作り上げていく必要があるわけですね。
そんな現実の世界を、虚構の「演劇の世界」を観せつつ、映画を観ている我々に感じさせようとしているのでは、と感じました。

とは言え、そんな説教臭いことを考えず、単純に映画の中で繰り広げられる「アステロイド・シティ」の物語を楽しむのも、全然アリでしょう。
超秀才少年少女たちが作り上げた発明品を「なんだこれ」と笑い、カメラマンと女優の近付きそうで近付かない距離感にやきもきし、突然やってきた宇宙人の意味不明な行動に苦笑いし……。
「ちょっとわかりにくいけれど、なんだかオシャレで面白い世界」の物語を味わうわけです。

描かれている世界が二重、三重の構造となっているのですから、その複数の世界のどこをメインにして観るか、それも観ている人間の自由。
ひとつの世界だけに注視するのも良し、複数の世界がどう絡み合っているのかを考えながら観るのも良し、てことですね。
そういった意味では、何度も観て楽しめれる作品だ、と言えるかもしれません。

私は同じ映画を何度も観るより、いろいろな映画を観たい派ですので、繰り返し観ることはしないでしょうけれども。

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