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さようなら健常者 はじめまして発達障害

はじめまして、尾島凌我です。
今は会社員でデザイナーをしています。
よくdqnネームと言われますが自分の名前には誇りを持っています。
「我を凌ぐ」と書きます。
今日の自分は昨日の自分より強くなれるように。
残念ながら名前負けしてます。

簡単に自己紹介をすると、私はADHDという発達障害を抱えていて社会不適合者です。
ここではあまり説明はしませんが、遅刻、欠勤、ミスが多く忘れることが多々あったり集中力が持続しません。
ただ悪い面だけではなく、いろいろなことに興味を持ち、興味を持ったものにとことん突き詰めたり、気づいたら行動していたという面もあります。
RPGでいうと一つのステータスを極振りしたような性能です。オールマイティーには対応できませんが、特定のモンスターに対してはとんでもないダメージを与えることができます。
ちなみに精神年齢は15.7歳
未成年がお酒を飲んではいけない理由を理解しました。

【あらすじ】
1)今までのこと
  - 発達障害のこと
  - ゲームに没頭し続けた学生時代
  - 中学生の頃、小学生に騙されてデザイナーの夢を持つ
  - 伸びきっていた天狗の鼻
  - 頑張って頑張って頑張って無理だった
2)これからのこと
  - 日本のe-Sportsを盛り上げたい
  - お世話になった方々全員に恩返しがしたい
  - 僕と同じような疾患を抱えてる方に夢と希望を与えたい

今までのこと

- 発達障害のこと
私が発達障害と発覚したのが21歳の秋で当時同棲していた彼女に心療内科を勧められたのがきっかけで通院するようになりました。
よくよく振り返ってみると学生時代はそういう傾向が見られるような見られないような…
そもそもあんまり覚えていない。
発達障害と発覚した時、母親に電話でめちゃくちゃ泣かれ「ごめんなぁ。。辛かったよね。。気づいてやれんかった、、」と伝えられた時は流石に泣いた。
お母さん泣かしてごめんね笑

- ゲームに没頭し続けた学生時代
そんな僕は昔からゲームが大好きで中学生の頃にカウンターストライクに出会い、一日の生活は起床、学校、ゲーム、就寝と生活の一部になっていてゲームに没頭する生活。
休みの日は昼に起床、そこからゲームを翌朝までして就寝、昼頃に起床という昼夜逆転生活。
もちろん友達と言える友達は全くいなかった。。。笑
ただインターネットで出会った友達は今でも仲良く連絡を取ったり遊んだりする。徐々にインターネットの虜になっていってた。

- 中学生の頃、小学生に騙されてデザイナーの夢を持つ
ゲームをプレイしている時にとあるユーザーに出会った。
その人は26歳のWebデザイナー、年収700万。
作ったサイトを見せてもらった時はとても輝いて見えた。
「俺Webデザイナーなりたい!」って思った。
そこから高校の進学先はパソコンが触れる学校に進学。そこではデザインの授業はなくITミュージック、ゲームプログラミングを勉強。挫折。
僕の通っていた学校は高校と専門学校がエスカレーター式で進学できるようになっており、卒業生の大半が専門学校に進学するというのが当たり前になっているのでかっこいい、友達が目指しているというダメダメな理由でシステムエンジニアを目指すが学校の先生に「お前がシステムエンジニアなる?お前がやるとスーパーええかげんなるわ!やめとけ」と言われ確かにと納得して元々目指していたWebデザイナーになると先生に伝えると「お前は事務しかできひんわ」と一喝され流石に腹が立った僕は進学先を半ば無理やりWebデザインのコースに決めた。
その後、僕にWebデザイナーと言うとても素晴らしい職業を教えてくれた彼はWebデザイナーですら社会人ですらなく当時小学生だと同時期に知り合った友達に聞いた。
唖然とした。僕はとても悲しくなった。尊敬してる人を目の前にしてうっすら消えていく幻覚のような感覚。
自分は見えない実態のないものに対して強い憧れを抱いていたという事実に頭が真っ白になったが、その反面絶対やってやるという強い気持ちが僅かに勝っていた。

- 伸びきっていた天狗の鼻
そこから専門学校に進学した僕は朝から晩までデザイン、コーディング作業に熱中していて、とても楽しくて初めて勉強が楽しいものだと知った。
確実にWebデザイナーという職業が近づいていることを実感していてそれもモチベーションにつながった。
クラスメイトで一番Webができる尾島くんという肩書き(?)にめちゃくちゃ天狗になっていた部分もある。というか伸びきっていて今思い返すとめちゃくちゃ恥ずかしいから黒歴史(笑)
天狗になるのも仕方ないと思っていて今まで「お前はクズだ、何もできない」「なんの取り柄もない」「お前になんかできるはずがない」と心のない言葉を周りの大人から浴びせられてたから自分が初めて他人に認めてもらうという今までなかった事実に本当に気持ちよくなってたんだと思う。
専門学校の作品展で1年生の頃にWeb作品で佳作を取り、2年生の頃に最優秀賞をもらった時はすぐお母さんに「俺もやればできるんやぞ!!!!!」って思いながらLINEを送ったら案の定びっくりしてた。
僕の通っていた学校には卒業式の前の日に優秀者表彰式があり、そこに僕も招待された。
ちなみに招待状には「あなたは我が校の誇りです。」という文字があった。めっちゃ手のひら返すやんけお前ら

- 頑張って頑張って頑張って無理だった
卒業後は大阪のWeb制作会社に就職。
学生時代の伸びきった鼻は1ヶ月でボキボキに折られた。
自分が戦っていたのは学校というめちゃくちゃ狭いコミュニティーなんだと実感した。
そこから僕の地獄のような日々が始まった。
修正作業してもミスが多かったり、デザインしても要素が抜けてたり、集中力が続かなかったり遅刻が多かったり、何よりその影響もあってか残業が多かった。
上司の評価はだだ下がりで帰り道に自分を責めて泣きながら帰ってた日も多かった。
就職して1年半が過ぎた時に発達障害が発覚して「なぜ自分はこんなにできないのか」「どうしてこの世に生まれてしまったのか」「いっそのこともう自殺してしまおうか」と自分を責めつづけた。終いには仕事中に息苦しくなって声を殺して泣きながら作業を進めている日もあった。
ただ、その窮地を救ってくれたのは専門学校の頃にできた友達。「俺いつかお前と会社起こしたいねん!」ってよく言ってくれてたが、自分になんかできるわけがないと思いずっと断り続けてた。
1年ぶりぐらいに彼からご飯に行こうと連絡がありそのまま奈良までラーメンを食べに行った。本当に友達の遊ぶのが久しぶりすぎてめちゃくちゃ楽しくて時間を忘れて明け方まで遊びつくした。
久しぶりの気分転換になり、色々とよく考えた上で今のままじゃ会社にいてもしんどくなるだけだと思った僕はその友達に電話で「俺会社起こすわ。一緒にやってくれん?」と伝えた。
死ぬぐらいなら今までお世話になった方々に恩返しがしたい。死ぬぐらいなら悔いのないような最後を迎えたい。
一生懸命彼に伝えた。彼は二つ返事で「わかった、いいよ」と返してくれた。
とてもありがたかったし協力してくれること自体嬉しかった。
そのまま何をするか、僕らは何ができるかをずっと話し合ってた。
そこに二人の話し合いの中で日本のe-Sportsを盛り上げよう!というプロジェクトが立ち上がった。

これからのこと

- 日本のe-Sportsを盛り上げたい
ゲームが支えになっていたりするという方はたくさんいると思います。僕もそのうちの一人でした。
ゲームがあったからWebデザイナーを目指せたし、ゲームがあったから今の自分がいる。
そのゲームを自分らのキャリアを活かして何か恩返しができないかと考えて今e-SportsのWebサービスを開発していたりします。
気になる方はぜひTwitter、Discordで連絡下さい!

- お世話になった方々全員に恩返しがしたい
今までたくさんの人に恩をもらってきました。お母さん、お父さん、お姉ちゃん、友達、学校の先生、会社の先輩、元彼女、ゲームで知り合った友達、バーで知り合った方々・・・
その方達に恩返しがしたいと心強く思っています。

- 僕と同じような疾患を抱えてる方に夢と希望を与えたい
僕は起業してかつての自分と同じ状況に陥っている方達に僕の姿をみて「僕も頑張ろう」「俺もやればできるかもしれない」と思っていただけるような存在になりたいと思っています。
できるかどうかはやってみないとわかりません。
ただ、社会での生きづらさを感じている人たちが生き生きと働けるような会社を作りたいと思っています。

めちゃくちゃ長くなりましたが以上で僕の今までのこと、これからのことを書き殴りました。
もし僕に興味がある、応援したい。どのようなWebサービスを作っているのかを気になった方はぜひTwitter、Discordで連絡いただけるととても嬉しいです!
それが僕の生きる理由につながります。

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尾島 凌我 ryoga ojima
人の金で肉が食いたい