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加齢と不機嫌

週末、長男の学校の体育祭で、事前にシートを敷いて場所取りするのはやめてください、との通知が学校からあったにも関わらず、僕の目の前で見ていた家族が、おもっきしシート敷いて場所どりをしていた。

皆、詰めあって見ている中で、シートにみんな座って応援してるのであればまだしも、荷物おきにしていたり、何も置かれてさえもないデッドスペースが発生していたり、そこを避けてみんな立って見てる状態。

さすがに周りの人たちも迷惑そうな目で見ていたが、僕に限っては、イライラが隠せず。靴でそのシートを徐々に動かし、わざと踏みつけたりして、侵食スペースを極少にしてやろうと対抗していた。

それを隣で見ていた妻が、やめなさいよ、そこまでカリカリしてるのあなただけやん、と諭してきた。しかしですよ…みんなルール守ってるのに、こいつらときたら…気づかせた方が良いでしょうよ…。

妻から、年よ、それ。そのカリカリすんの、加齢、と言われる。

確かに昨今、特に不正義のようなものに対して、堪えが効かなくなっている感がある。往々にして自分の考えてることは正論で(この発想も老いなのかもしれないが)、そうでないものが許容しにくくなっている。気にするまい、とマインドを切り替えるのだが、なかなかうまくいかぬ。

体育祭が終わり昼から後輩夫婦が我が家に酒を飲みにきて、その話題になった。

自分の一個年下の後輩男子が「めちゃわかる、この前、天神の交差点を髪紫色のギャルがタバコ吸いながら歩いてたから、注意した。そしたら厳つい男が出てきて揉めかけた」と言った。

そういうことなのである。たぶん正義サイドには立っているのだが、それはなかなかの鬱陶しさも伴う。

会社の上司(50代)が、自宅の前に流れる川に、不法投棄(弁当の殻とか空きペットボトル)が続き、犯人をなんとか捕まえようと奮闘している。

川に向けて自費で防犯カメラを設置し、夜帰宅してからは真っ暗にした部屋から川を頻繁に監視している。そして進捗を毎日のようにFacebookで投稿している。

「今日もかなりの時間監視をしていたのですが、姿は見えず…そして次の日川まで確認をしに行くと…やられた!またやられた!」

申し訳ないんだが、少し滑稽でもあり、あとそこに費やす情熱を仕事に向けてくれ、とも思ったりする。

そういえばその上司は以前、近所の公園に夜中たむろするヤンキーがうるさいと腹を立て、怒鳴りつけにいったところ、後日そいつらからエアガンで撃たれたと言っていた。そんとき40代だった。

やはり40代半ば頃から、正論めいてはいるが不機嫌で、やたらと怒る人が増えるように思う。

自分の周りで言うと、親戚のおっちゃんとかでそれまできっとノンポリだった人が40〜50代で「目覚めて」、傾向として多いのが嫌中•嫌韓になるケース。これも一種の加齢が引き起こす「不機嫌」だろう。

前は全く意味がわからなかったし、今も嫌中•嫌韓に行ってしまうのは理解できないけど、自分の中に芽吹く、運動会の場所取りに対するムカつきのようなものと、どこかで地続きなのかもしれない、と危機感を覚える。

長男が、これは元来の性格なのだが正義感が強く、よく世の中や対人関係での不条理に怒っている。そのとき自分は「気持ちはわかる、君が正しい。けど世の中も人も完璧やないから、もう少し寛容であろう」と伝えるようにしてきた。

今、その言葉が自分に返ってきているようだ。

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