池田二郎という男

アウトプットをする訓練をしたいなと思い、ノリで始めたnoteですが、早くも放置状態になりつつあり、ヤバいです。笑

そこで、今回はnoteを始めるきっかけになった池田二郎という男について書いてみたいと思います。

↑このマイケルジャクソンと握手している彼が池田二郎君(以下、ジロー君)なのですが、彼がマイケルとの仕事の経緯をnoteにまとめているのを読んで、あぁ、これがジロー君だよなぁ、、、と妙に感心したので、なんとなく僕の思うジロー君について書いてみたくなりました。

ジロー君と僕は今から15年くらい前に知り合いました。
当時の僕は新卒で入ったイーパーセルというネットセキュリティのベンチャー企業に2年半勤めたのち、学生時代に可愛がってもらっていた先輩に請われて、モデルやミュージシャンや映像クリエイターのマネジメントをするモーディア東京という会社を友人と一緒に立ち上げて2年ほど経過し、ミュージックビデオ制作の仕事が定期的に入りだし、何とか会社が軌道に乗りかけたかなくらいのタイミングだったと思います。

会社に所属していた映像クリエイターの子とジロー君が部屋をシェアしていた関係で紹介を受けたのが知り合うきっかけだったと記憶しているのですが、紹介を受けて、まずは2メーター近い身長にびっくりし、経歴を聞いてさらにへぇ~となるとても興味深い人でした。

最近は八村塁選手がNBAでドラフトされたり、Bリーグが盛り上がってきたりと、日本でもバスケットボールは割と注目のスポーツですが、ジロー君は日本でプロリーグが出来る、はるか昔の1996年に高校卒業とともに単身でアメリカに渡り、バスケットボール選手として5年間アメリカの大学でプレイをしたものの、バスケでは夢が叶わずに2001年に帰国し、現地で培った英語力と本場のHIPHOPカルチャーでの経験をベースにイベントプロデュースをやっているとのこと。

英語も出来ない純日本人の高校生が単身でアメリカに渡って、バスケの本場のアメリカで5年もプレイするって、とんでもない勇気と行動力じゃないですか?

僕はそんなジロー君の行動力の面白さに惹かれて、その後も彼がBリーグの前身のBJリーグの第一回のドラフト会議をイベントとして仕切った時の会場手配を手伝ったり(今は亡きベルファーレという六本木のクラブでやりました)、うちの映像の仕事で人の手配をお願いしたり、と都度都度で絡むようになりました。

そんな彼が先日マイケルジャクソンが亡くなって10年ということで、↓のようなnoteをアップしていました。

ジロー君はマイケルが児童虐待騒動後の初めて公の場に姿を見せた2006年5月に東京で行われたMTVビデオミュージックアワードでマイケルの通訳の仕事をすることになるのですが、当時は、あの色々あったマイケルジャクソンが久々に姿を見せるらしい、しかも東京で!というだけで業界内ではホントに来るの??何しに来るの??とザワザワしていたのですが、

「ジロー君、マイケルの通訳やるらしいよ!!!」

ということで、それを聞いて、さすがにひっくり返ったわけです。

その時の顛末が↑のnoteに書いてあるのですが、当時は、なんでジロー君がマイケルの通訳をすることになったのか?は知らなかったですし、とにかくすごい奇跡が起こったんだろうなとしか思っていなかったのですが、noteに書いてある通り、当時のジロー君のコツコツとイベントのフライヤーを配る日々がこの大役につながったこと、ギャラはいらないので、マイケルとツーショット写真を撮らせてくれ!と要求する咄嗟の判断力、どんな場面でも全力を尽くすことなど、見習うべきものがあるなぁ、、と思ったので、なんとなく大きなことをやりたいけど、何をやったらよいのか?わからないと思っている方には、とても参考になるので読んでみてください。

ちなみに、ジロー君はその後、まだ、ビジネスで大きく成功はしていません。ただ、日々チャンスを狙って、クラブカルチャーとバスケットという彼の得意なフィールドで頑張っています。

たぶん、いつの日かジロー君は大成功すると僕は信じていますし、彼のことを今後も応援していきたいなと思っています。

僕は、こいつは自分とは違う何かを持っているな!とか、面白いな!!とか、狂ってるな!!と思う人をたくさん見つけて、損得抜きで応援していける、そんな人間になりたいんだなぁと、ジロー君を見ていて思ったわけです。まる。



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