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「会社は学校じゃねぇんだよ!」

皆さん、こんにちは。
前回のアップが去年の12/30だったので、約1年振りの更新ですね。
自分の継続力の無さにとても残念の気持ちになりますね。(笑)
最近、ユーチューバーマネジメントの会社で上場したUUUMという会社の創業者の鎌田さんのブログで、彼が初めて入った光通信という会社での社会人体験のスタートについて書かれたブログを読みました。

人生ではじめて就職しようって思ったのが光通信という会社でした

興味のある方は↑のブログを読んでもらえればと思いますが、当時の光通信は、泣く子も黙る「あれな」会社だったのは有名な話ですが、こうやって面白おかしく当時を振り返れるって素晴らしいなと思いました。

このブログを読んでいて、僕も初心を思い出してみようということで、自分の新卒時代のことを思い出してみました。

僕は、三菱電機の天才エンジニアの日本人がボストンで起業して、成功し、鳴り物入りで日本に逆上陸したネットセキュリティのベンチャー企業に社員番号1桁台で入社しました。
立ち上げられたばかりのベンチャー企業なので、僕以外のメンバーは名だたる企業で腕を鳴らした30代半ばの強者がヘッドハントされてきており、大学を出たばかりの僕は場違い感満載の中で、右を見ても左を見ても分からないことだらけ、とにかく必死に仕事になることを探し、やれることを探し、毎日悪戦苦闘していました。
確か、給与は年俸300万円で、ストックオプションを1%(1億円の価値があると言われてたなぁ、、、)付与するという条件でした。

結局その会社には2年半ほどお世話になるのですが、ベンチャー企業の立ち上げのあるあるを良くも悪く沢山体験させていただき、半沢直樹ばりのとんでもないエピソードも満載のスリリングな場面をなんの責任もないペーペー社員として楽しませてもらいました。

そんなこんなで、僕の新卒社会人体験は、この会社のカスタマーサポート部に配属されたところからスタートします。

カスタマーサポート部は野村證券出身なのに異常にシステムに詳しいO川さんという部長さんと、新卒で、パソコンもまともに触ったことのない僕という2名の部署でした。
O川さんはいつもニコニコした一見優しそうなおじさんなのですが、新卒の僕への研修は

「カスタマーサポート部は何をする部署かというと、お客さまからの商品に対するお困りごとを解決する部署です。」

という一言だけで、あとは自分なりに頑張ってくださいね、、、とニコニコ顔で言い放つ最強の部長さんでした。

僕は、内心、「マジかよ!?このおっさん!!」と思いつつ、「はい、分かりました!」と言うしかなく、パソコン操作もままならない状態で、最前線へ放り出されます。

20年経った今でも覚えてますが、入社してすぐに、サポートの電話に出てくださいと言われて、僕以外電話に出る人間はいないので、とりあえず、会社名と名前を名乗って電話に出始めるわけですが、当時、その会社にはアメリカで立ち上げられた時代から、豊田通商というトヨタ系列の商社を通じて、広くトヨタ関連の部品メーカーに販売されていた商品だったため、豊田通商の担当者からの電話が頻繁にかかってきました。

電話にでるようになって間もなく、豊田通商のサカイ(仮名)さんという担当者から少し慌てたトーンでの電話がかかってきました。
僕は、いつも通り、会社名と名前を名乗り、サカイさんのお困りごとを聞くのですが、どうやら、商品の不具合があり、彼の担当しているお客さまが大変困っている様子でした。
僕はいったん、サカイさんのお困りごとの状況を聞いて、僕では解決出来る内容ではなかったので、折り返し対応とさせていただき、電話を切りました。

電話を切ったその足で、僕はO川さんの元へ向かい、

「O川さん、豊通のサカイさんから商品の不具合についてのお困りごとを承りました」

と報告をしました。

僕は、自分の仕事は、お客さまのお困りごとを上長であるO川部長に報告することで、完了すると思い込んでいましたので、報告を終え、自席に戻ろうとしたら、O川部長から呼び止められます。

そこで、僕は社会人としての洗礼を受けるのですが、O川部長から信じられない一言が発せられます。

「河田君、うちの会社の商品開発は、全てUSで行っています。USにトビーという人間がいるので、彼にお客さまのお困りごとを伝えて、改善をしてもらってください。」

ここで、今回のエピソードのタイトル「会社は学校じゃねぇんだよ!」に辿り着くのですが、僕は完全に勘違いしていたことに気づきます。

新卒で、パソコンのスキルも知識もない、英語もまともに話せない僕に求められているのは、「報告するまで」しか出来ないはずで、それが、僕の仕事だと完全に思い込んでいたのですが、O川部長からは研修で、「お客さまからの商品に対するお困りごとを解決する部署です。」と言われていました。はい。確かに言われていました。僕は、確かに「はい。分かりました。」と答えてます。↑に書いた通りです。(笑)

O川部長からは追い打ちをかけるように、

「キミの仕事はお客さまの困りごとをUSの開発チームに伝えて、商品の改善を行い、お客さまに改善された状況を提供することです。大丈夫ですよ。トビーはトビー土田という名前で、一応日系人ですから、日本人の気持ちくらいは分かります。電話がダメならメールで伝えるくらいは出来るでしょ?」

とドSな追い込みをかけられます。

その後、どのようにトビー土田とコミュニケーションをとり、商品の改善を行い、豊通のサカイさんに伝えたのか?は一切覚えていないのですが、仕事してお金もらうのって、大変だなと実感したのだけは良く覚えています。

鎌田さんの光通信の話や、僕の新卒時のエピソードは20年前の話なので、今のご時世にこのようなスタイルは馴染まないのかもしれませんが、最前線で経験をして失敗をして、乗り越えていくことで人間って成長していくんだなと思うわけです。

僕の社会人人生の原点は、O川部長のドSな追い込みからスタートしたことを再確認出来たことで、明日からも初心を忘れずに頑張っていきますね。
ご清聴ありがとうございました。

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