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食事をする人は全員考えてほしい話。

先日ミートフリーマンデーのことを書いたけど、最近色々思うところがあり、やっぱりもっと食事についてを真剣に考えてみたいと思います。とはいえ、そんなに難しいことではなく小学生でも幼稚園生でもわかるくらいの簡単なことです。

食事のことを考え出すと様々な問題にすぐにブチ当たります。

野菜は農薬、遺伝子組み換えの問題
肉はアニマルウェルフェアやメタンガスによる環境問題
魚はマイクロプラスチックや生態系の変化の問題

そんなに詳しくない私だって、このくらいのことがすぐに思いつきます。いや、もっと細かく上げていったらキリがないし、事実確認ができるわけじゃないので詳しい話はここでは避けますが……。にしても、もう今手に入る食べ物で安心なものって本当に何1つないやんけ……。

と、調べるほど悲しくなってくる一方ではありますが、それでもなるべく良い物を摂取するため、出来ることを少しだけ考えてみました。これ、すごくおすすめなので本当にみんなにもやってほしい。今すぐできて、食べ物を変える必要はありません。

今すぐできること、それはシンプルに「食べ物を命として尊重すること」です。野菜も、肉も、魚も、調味料だって、仮にどんなに簡単に食べられるカップラーメンであったとしても、ずっと辿っていけば元々は動植物の「命」を原材料にしていない食べ物はないはずです。

加工品になればなるほどそれが遠いから感じにくいし、何も気にも留めないことがほとんどだと思います。でも、どんなに気に留めなかったとしても、野菜は植物が生きていたから頂けるわけだし、肉というのは誰かが育て、それを屠殺する人がいて、加工する人がいて、それが店にやってきて、調理して食べたり、あるいは調理すらせずにコンビニのビーフカレーになって5分で食べ終えられたりするわけです。

思うに、何も考えずに5分で食べるというのが、とても良くない気がします。
だって、もし今牧場にいるとして、目の前に生きていいる牛さんを、あなたの前で屠殺して、食肉に加工しているところを見ても全く同じ気持ちで食べられるでしょうか。

牛だって生きている命です。彼らは基本ゆっくり動き優しい目をしている穏やかな生き物です。殺すときには、泣き声を出すそうです。そうやって繋がれた牛の命の一部を自分の命にしてくということが、食事です。「そんなところ想像したくない」という意見もあると思いますが……するしないは自由ではありますが、いづれにせよ、その「命をいただいている」という事実は絶対に変わりません。

だったら、その事実をしっかりと受け止めて「ありがとう、いただきます」という思いを持って、つまり生きていたことに対する想像力と敬意を持って食べる方が、まだ少し健全ではないでしょうか。それが本来のいただきますの意味であり、命を尊重するということなんじゃないかと思います。私の親はそんなことを言うタイプの人間では全くなかったのですが、日本人だったら「いただきます」と言うことばには馴染みがあってこう言うことに想像を巡らせやすいと思います。「いただきます」はその形や言葉というより、想像力が大切なんだと思います。

牛肉でも、魚でも、野菜でも命という意味では同じです。そして私たち人間も同じ命のある生き物です。

食事を通じて命をいただいていることを感じ、だからこそ自分たちが生きていける。そしてそのいただいた命をまた何か自分ができる方法で世界の役に立てることにつなげていく。

これは極めて当たり前のことのはずなのに、色々な理由で見えづらくなっているのが今の社会だと思います。でも、見えなくても、想像はできるのです。問題は山積みではありますが、まずはできることから。想像したり、身近な人と話したりしたら、少しずつ何かが変わっていくことを願って。

もしサポートいただいたらいつも他人に譲ってしまう傾向のある心やさしい旦那さまと、彼の大好きなカニを食べに行きたいです。応援よろしくお願いします。