その日の天使

死んでしまったジム・モリスンの、何の詩だったのかは忘れてしまったのだが、そこに
"The Day's divinity,the day's angel."
という言葉が出てくる。
英語に堪能ではないので、おぼろげなのだが、僕はこういう風に受けとめている。
「その日の神性、その日の天使」
大笑いされるような誤訳であっても、別にかまいはしない。
一人の人間の一日には、必ず一人、「その日の天使」がついている。
その天使は、日によって様々の容姿をもって現れる。
少女であったり、子供であったり、酔っ払いであったり、警官であったり、
生まれてすぐ死んでしまった犬の子であったり。
心・技・体ともに絶好調のときには、これらの天使は、人には見えないもののようだ。
逆に絶望的な気分に落ちているときには、
この天使が一日に一人だけ、さしつかわさ
れていることに、よく気づく。
こんなことがないだろうか。
暗い気持ちになって、冗談にでも"今、自
殺したら"などと考えているときに、
とんでもない知人から電話がかかってくる、
あるいは、ふと開いた画集か何かの一葉の
絵によって救われるようなことが。
それは、その日の天使なのである。
夜更けの人気の失せたビル街を、その日、
僕はほとんどよろけるように歩いていた。
体調が悪い。重い雲のようにやっかいな仕
事が山積している。
家の中もモメている。
それでいて、明日までにテレビコントを
十本書かねばならない。
腐った泥のようになって歩いている、その時に、そいつは聞こえてきたのだ。
「♪おっいもっ、おっいもっ、ふっかふっかおっいもっ、まっつやっのおっいもっ♪
買ってチョウダイ、食べてチョウダイ。
あなたが選んだ、憩いのパートナー、マツヤのイモッ」
みちで思わず笑ってしまった僕の、これが昨日の天使である。

中島らも「恋は底ぢから」1992年集英社文庫より転載

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