谷崎潤一郎全集を読む 第三巻

谷崎潤一郎全集第三巻(1981年版)より、1915~1916年に書かれた作品群。当時谷崎は29~30歳で19歳の女性と結婚している。

1、創造

自分の醜さを悟り、自分の人生と自分の芸術を切り離すことにした芸術家が主人公。それは「金色の死」から脱却した、谷崎自身に重なる。自分の人生を芸術化することを諦め、芸術化を試みたのは、他人の肉体だった。彼の芸術とは、完璧な男性美を有する男と、完璧な女性美を有する女とを結婚させ、男性美と女性美を兼ね備えた人間を作ることだった。「芸術と人生は両立しうるか」は「金色の死」から続く、この時期の谷崎のテーマである。「創造」では、芸術と人生を完全に切り離し、「醜い顔を持った芸術家」は自分の人生を芸術化することを諦める。ここにフィクションを基礎にした谷崎小説の方向性が定まったともいえる。

2、華魁

真面目一筋の16歳の男児が、悪い仲間にながされて、芸者買いに行くという話。未完。続きを安易に予測すると、男児は芸者買いの楽しさに取りつかれて、金銭的もしくは社会的損失を被ってしまう、というところだろうか。

3、法成寺物語

「現実にない美を作り出すことは出来ない。」「芸術は現実に存在する以上のものを作り出すことは出来ない。」というのがこの小説のテーマである。現代でいえば、似た性質があるのは、例えば写真である。写真は自然の最高潮の瞬間を切り取ることが出来ても現実以上の美しさは表現しえない。谷崎は「人魚の嘆き」で現実に存在しない人魚の美しさを言葉一つで芸術作品として固着させることに成功するが、それは後のことである。この「法成寺物語」の主人公は仏師の定雲である。法成寺とは今は存在しない、藤原道長によって創建された、摂関期最大の寺院である。天才と評される定朝と、その弟子の定雲は法成寺の仏像を作っているのだが、定朝は定雲の作る仏像に自分の作る仏像が敵わないことを悟る。だが、定雲の仏像には秘密があった。定雲は、藤原道長の愛人であり絶世の美女、四の御方の顔をそのまま写し取ったに過ぎなかった。ここに、己れの空想でのみ、現実にない仏の顔を彫ろうとする定朝は敗北した。仏の顔は現実に存在する人間の顔以上のものには成り得なかったのである。しかし、定雲の秘密を知った定朝は、同じように絶世の美男子を探し出し、自分の仏像に写し取った。だが、この先に待っているのは破滅だった。「金色の死」に続く一つの谷崎小説の転換点ではないだろうか。

4、お才と巳之助

当時の谷崎が、ワイルドや、モオパスサン、アナトオル・フランスに西洋芸術を学び、書いた作品群のうちの一つ。若旦那だがのろまで不細工で女心を一筋も解せないの巳之助は、下女で器量良し、顔良しで恋は百戦錬磨のお才に恋をする。一方、十人並みの器量を持つ、巳之助の妹であるお露は、巳之助の面倒見であり、女を口説く天才、卯三郎に恋をする。巳之助兄弟は、そろってお才と卯三郎に騙されていた。お才と卯三郎の悪党っぷりは甚だしく、巳之助の鈍感で、無能っぷりにはいらいらさせられるが、お露はただ可哀そうでならない。「お艶殺し」と同様、江戸が舞台の人情物、歌舞伎のようで、発表当時はかなり売れたそうである。

5、獨探

獨探(どくたん)とは、スパイのことである。「私」は、「自分の胸の中に燃えている痛切な芸術上の欲求が、到底日本に生まれて日本に囲繞されて居ては、満足されるものではないことを発見」し、「激しい西洋崇拝熱に襲われ始めた」ために、知人のつてをたよりに墺太利人にフランス語を学ぶ名目で、西洋人と交流を持つことに成功する。けれども、「私」の試みは失敗することになった。なぜなら、墺太利人は狡猾で現金で、さらに無学で、下品な人間だったのである。果たして、「私」の、西洋への失望と、語学勉強の目的は、結局果たされなかった。西洋趣味と東洋趣味を行き来する、谷崎の思想が垣間見える。ミステリー小説のような趣がある。

「若し日本人としてエキゾティックな芸術を開拓するつもりなら、支那や印度に眼をつけた方がいいなどと思って居た」というセリフがあるが、のちの支那趣味や印度趣味的作風で書かれた「人魚の嘆き」や「玄奘三蔵」に影響を与えている。

6、神童

数少ない自伝的性質を有する代表作。勉学の才能に恵まれた春之助は、文芸や天真爛漫な少年としての生活を捨て、偉大な宗教家乃至は哲学家になることを決心する。彼は、己れは純潔無垢な人間であると自惚れ、自分の足元はるかに及ばない思想しか持たない大人や同級生を侮蔑するようになり、自分の人生を楽観視するようになる。貧乏な生まれの春之助は、中学に通うために、丁稚奉公同然の書生生活をするため井上家で暮らすことになる。井上家は、商人の家で、大層繁盛しており、芸者上がりの妻「お町」を中心に、毎日毎晩2階座敷で待合さながらのにぎやかな晩飯を食べているような所だった。「朱に交われば赤くなる」というが、春之助は、お町や、娘のお鈴、下女のお新やお久に次第次第に感化され、悪行に快楽を感じるようになってしまった。お町の使いで、芸者や半玉、役者の家へお使いへ行くようになると、春之助は、天才にならんとするより、一層美貌であることを望み、己れの醜貌と貧相な肉体を嘆いた。春之助の親は二人とも十人並みの美貌を持っていて決して彼の顔に美形の要素がないわけではないが、あまりに勉学に身を尽くしすぎた結果、彼の容貌は醜く変形し、青白い血色を湛え、運動神経に至っては、朋輩に笑われるほど酷いものだったのである。18歳を迎えるころ、春之助は辛うじて首席を保っていたが、その頭脳の明晰さにはいくらかの曇りを見せていた。周りに美しい女性が多い環境にあった春之助はいつしか「罪悪」つまり自慰を習慣とするようになったからである。斯くして、春之助は、宗教家、哲学家になることを諦め、それでも己を凡人だと思うことができず、その天才を信じ、「人間界の美を讃え、享楽を歌へば、己の転載は真実の光を発揮するのだ」と自覚し、哲学書を耽読することをやめ、詩と芸術に没頭すべく決心し、物語は幕を閉じる。自伝的小説にも関わらず起承転結の体裁が整っているため面白かった。

7、鬼の面

自伝的小説その二。主人公は壷井という男で、津村家に書生として厄介になっており、主人の妾や女中には冴えない魯鈍な奴だと思われているが、一高へ行けば、首席の座を占める秀才である。恩師の老人に才能を買われたおかげで壷井は学校に通え今の主人のもとに居候することが可能になったのであるが、同時に、「己は非凡な人物である。天才の卵である。」という慢心を抱かせることになった。ある日、夫人の計らいで、主人の兄妹と奉公人二人とともに鎌倉の別荘へ滞在することになる。彼は、偉大な哲学家や宗教家、政治家になろうと形而上学的な書物に読みふけるのが小学校以来の癖だったが、近頃は、論文よりも詩集が、詩集よりも小説のほうが夢中に読めることに気づいた。ダンヌンチオ(「それから」の代助も読んでいた)の「死の勝利」を読み終わった。果たして壷井はダンヌンチオのやうな小説の世界に憧れ始める。壷井は自分を「意志の弱い」人間だと自覚し、代わりに鋭い感受性をもって芸術の道を行こうと決意をする。そこで壷井は鎌倉の生きた「自然」と「人間」を観察しようという気になり、湘南の海を散策する。砂浜で遊ぶ男女を見た壷井は、今まで勉強に集中するばかり、運動をおろそかにしていたことを後悔する。彼は泳ぎはもちろん、野球もテニスも知らない。今まで軽蔑していた運動家に対して、敗北を感じた。壷井は身分の近い女中、お君に初恋をする。しかしその艶書が原因となり、津村家を放逐され、生活費を工面するのに追われる日々を送るようになる。恩師、澤田先生の道徳に威嚇され、将来悪人のまま強者になろうと決意し、道徳に背きつつ強者になろうとする胆力と信念をを養い世間を征服しようとするも、生活費を稼ぐために入ろうとした新聞社の主筆に、己の矮小さを看破されそれ迄の自惚れを損失した。そこで壷井が考えたのは「えらくなるとは、非凡なる才能を持ってそれを世間に認めさせるということ。その優れたる特徴に眩惑されて、世間の人が彼の弱者たる悪人たることを許すようになること。」であった。同窓生を裏切り幕を閉じる。

読了日 8/30/2020

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?