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谷崎潤一郎全集を読む 第一巻

谷崎全集第一巻(1981年出版、全30巻)より、メモ代わりに、ネタバレがないように各作品のあらすじや概要をまとめる。谷崎潤一郎自体がどういう人だったかも紹介しつつ、谷崎小説の面白さを伝えたい。作品は、ほぼ発表順並び、1910年から1912年に発表されたもの。

1、誕生

「新思潮」の創刊号に掲載された、谷崎の(活字化された作品としての)処女作。実際は「誕生」よりも「刺青」のほうが先に書かれた「ほんたうの処女作」である。栄花物語を下敷きにした、藤原道長の子の誕生を描いた戯曲。谷崎の作家デビューとしての気概を感じる一作。ちなみに戯曲とは舞台脚本のような形式で、台詞のみで書かれたもの。「幕」で話が区切れ舞台転換をする。その初めには舞台のセットの細かな説明がなされる。谷崎は戯曲形式の作品もよく書いている。栄花物語を下敷きにした戯曲は「法成寺物語」などがある。

2、象

享保13年、江戸幕府に象が献じられ祭りになり、江戸の民衆は象をどうにかして見ようと躍起になる。その熱狂的な盛り上がりを冷淡に見つめる隠居と老年の武士。「小さな門に大きな動物を入れるべきではない。」社会批判精神を感じる。きれいな落ちがついており落語をベースに感じる滑稽話。戯曲。

3、The Affair of Two Watches

東京帝大の学生三人が吉原に行くために時計を質屋に預け借金をしようとする。大学生らしい結末を迎える。

4、刺青

処女作にして傑作、主人公は江戸に名をと轟かせたの刺青の彫り士。彼の長年の夢は、美女の肌に己れの魂を刺り込むことであった。「すべて美しいものは強者」という谷崎の命題を告げる。「美を付与するもの(=芸術家)」と「美を付与されるもの(=芸術作品=美男美女)」の関係性を描き、それは谷崎の晩年に至るまでの一貫したテーマである。耽美主義を代表する小説。絢爛な文体が息苦しいほどの美しさを添える。「折から朝日が刺青の面にさして、女の背は燦爛とした。」の一文がよい。

5、麒麟

論語より「吾未だ徳を好むこと、色を好むが如くする者を見ざるなり」を下書きにした小説。「孔子」が主人公。放浪中の孔子一行は、衛の国王の婦人、南子夫人の要望で、国に招き入れられる。最高の徳を持つ聖人、孔子と、絶世の美貌を持つ南子夫人の対決。歓楽と徳の勝負。この作品を永井荷風が絶賛し、谷崎は華麗な文壇デビューを飾った。構成がすばらしく迫力を感じさせる傑作。

自伝的代表作である「神童」「鬼の面」(第三巻収録)を読み谷崎の背景を踏まえて読み直すとさらに面白い。「神童」と「鬼の面」を簡単に説明すると「貧乏書生(谷崎)が、偉大な哲学家もしくは宗教家(徳)になることを志したが、美しいものに惹かれ自涜をする(悪徳に惹かれる)ようになるという話だ。その関係をこの「麒麟」の登場人物に置き換えると、「衛の国王=谷崎」、「孔子=徳」、「南子夫人=悪徳」となる。衛の国王は公私に導かれ、正しく国を治めることに目覚めたが、結果的には南子夫人の誘惑に再敗北しており、自伝的小説の主人公像とそのまま重なる。谷崎の小説には、紂王妲己のような暴君がたびたび登場するが、「麒麟」はまさにその原液のような暴君像を示している。

6、信西

平安時代の徳を積んだ僧、信西が主人公。追われる身となった信西の最後を描く。徳は生の執着に敗北する。戯曲形式。

7、彷徨

谷崎は大学生のころ文壇に出られない焦りから神経衰弱になり、簡単に言うと病み、避暑地で療養をしていた。その経験はいくつかの小説に登場するがそのうちの一つ。療養を終えた主人公は旅行先で芸者に出会う。未完。結末を予想すると、主人公の「破滅」しか考えられない。話の構想はおそらく「飈風」に受け継がれている。

8、少年

登場人物は、小学生くらいの子供三人(男2女1)なのに内容はSM。女の子の名前が「光子」で、中期の傑作「卍」のヒロインと名前が同じ。

9、幇間

幇間とは、おもに芸者がいる座敷を盛り上げるためだけに存在していた職業。数少ない谷崎の自伝的小説。主人公、三平の卑屈で慇懃な態度からくる卑しさ、女性らしさは、谷崎文学のキーポイントである。

また文章は「敬体(ですます調)」と「常体(である調)」という二分することができるが、文章が「ですます調敬体」で書かれているというのも一つのポイントである。というのも、谷崎が「敬体」を用いたのは「幇間」が初めてであったとからである。敬体は、その後は「人魚の嘆き」や、代表作「痴人の愛」にも使われている。普段の話し言葉に近い敬体は、自己や他人の世間には受け入れがたい内面を暴露するという話の筋に相性が良い。つまり告白、吐露、さらけ出しを得意とする谷崎には適した文体だったのだろう。

10、飈風

三田文学を発禁にした問題作。谷崎が精神を病んでいるときに書かれたため、内容が荒んでいる。吉原に通いまくった直彦は「悄然として非常な恐怖と寂寞を覚え始め」、懇意にしていた東京の芸者に別れを告げ、他の女と寝ないことを約束し、北国大旅行の決意をする。青森まで行き徒歩で東京へ帰るまで六か月。性欲を我慢し、愛の力を云々。発禁にされるだけあって、結末は過剰なところがある、が面白い。キルケゴールの云う「美的実存」のよう。

11、秘密

女装する話。「秘密」はあったほうが人生楽しい。知らないほうがよいこともある。「ミステリアスさ」は芸術的である。

12、悪魔

東京帝大に通うために佐伯は、本郷の叔母の家へ下宿することになる。そこに住んでいた、すらりとして都会風で洗練された従妹の照子にであい、佐伯は官能を刺激される。媚びるような眼をする照子にちょっかいを掛けられた佐伯はいかに。ラストは相当気持ちが悪く、変わった性癖を持つ人でもなかなか理解できないのではないかと思う。

13、あくび

帝大の学生寮が舞台。谷崎は日比谷高校から東京帝大仏文科に入学したエリート。寮に住む個性的な学生たちは魅力的で、当時の学生生活の様子を知ることができる。

14、朱雀日記

作家が京都を訪れ東京との比較をする。のちに「私の見た大阪、および大阪人」という随筆を書くが、この作品は小説なのか随筆なのか正直分からない。東京下町育ちの谷崎による、東京と関西の比較は興味深い。京都は飯が薄味で谷崎には合わないらしい。ちなみにのちの随筆では主張が逆転している。

15、羹

本郷に下宿する宗一と、小田原のお嬢様の美代子の遠距離恋愛の話。世の中のエンタメは概して、ボーイ・ミーツ・ガール、「男女が出合いました、どうなるでしょう」という内容であり、この話もその手のものだ。本郷での大学生活、芸者買い、恋愛、失恋といったテーマが上手く交じり合い、当時の大学生の恋愛生活を身近に感じられる名作。たびたび登場する鉄道や駅の描写が秀逸。

16、続悪魔

「悪魔」の続編。佐伯は、照子の玄人っぽい行動に誘惑され、神経衰弱、ほとんど発狂しそうになっていた。同じ叔母の家に下宿している冴えない書生、鈴木は、照子と関係を持っていたという。照子をめぐり、佐伯と鈴木は衝突し劇的な最期を迎える。近頃、お嬢様言葉が少し流行ったりしたが、谷崎の初期のヒロインはまさにお嬢様言葉を使う。「〇〇らしくってよ」「〇〇しくって?」など。また、自由奔放でわがままな女性が多く、男性的な言動が特徴である。反対に、「幇間」ではないが、男は、執念深く、慇懃で、女性的な言動をすることが多い。

以上 おわり

読了日 2/20/2020

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