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うさんくさい、のしょうたい。

こんなふうに思っていることに気づいた。

作り笑顔は嘘だからダメ。
何もかも上手くいかないのが人生。
笑えない。笑わないのは自分に正直だから。
作り笑顔は嘘だからダメ。
作り笑顔は辛くなるから、ダメ。


これは世界の常識?

笑顔で挨拶をしよう!
これは周りの人を幸せにしよう!と
いう意味に思ってた。なんで周りの人のために
笑顔を振りまかなくちゃいけないんだ。
他人は僕とは関係がないのに。
僕は僕を笑顔に出来ればそれでいい。
ぼくはぼくをえがおにするほうほうをしってる。
正直にいること。心に正直にいること。
喜ばしいことがあれば喜び
怒れたらおこり、
悲しいことがあれば泣き
楽しいことがあれば笑う
それが心に素直にいること。
それをすればいいのだから。
でもね、そうやって行動してると、
あの人は人のことを気にしないやつだなんて。
後ろ指さされて。仲間から外れて。ひとりぼっちになって。友達ってなんですか。友達って作り笑顔を送り合うだけの作り笑顔のパートナーのことじゃないですか。どんなに大人になっても。物分りのいい人になったつもりでも。作り笑顔はいやだ。楽しい時だけ楽しく。そんなふうにいられる友達なら、いい。そういうのを友達といいたい。だって。他人の喜びとか怒りとか悲しみとか楽しみとかどうでもいい。喜べないもの。怒れないもの。悲しめないもの。楽しめないもの。鈍感。鈍感。とにかく鈍感にいよう。わたしとあなたは無関係。私は私を、喜ばせる方法は知っている。知り尽くしている。だけどね、ざんねんだけど。知らないんだ。あなたを喜ばせる方法はなんなのか。これっぽっちも。

わたしはそうやって生きてきたように思う。だから友達はいない。ゼロ。私と心を通わせる人はいないのだと思っていた。すべて打算的な、一時的な関係。上辺だけの作り笑顔なんてしたくないけど、とりあえずそれをしておけば場が収まる。収まればとりあえずやり過ごすことができるから。そうやってわたしは私を形成した。それを後悔なんてしていない。そうやって適度な距離を保たなくてはわたしを維持出来なかったんだから。そんな時期は誰だってある。ぼくはそれが長かった。25歳くらいまでかかった。そこから抜けるの。結局、ぼくは認め合う機会を逃していたのだと思う。わたしがいて、あなたがいるという行ってこいだけでない関係。行って返って、また、返す。そしてまた返ってくる。そんな経験を初めてしたのはいつだろう。昔飼っていた犬。そうだ、犬だ。お母さんが迷い犬を拾ってきた。珍しいパターンだ。ぼくが犬が飼いたいと言い出したのが始まりだった。なんでそんなこと言ったのかよくわからない。そんなときにたまたま拾われてきた。それが彼(オスだった)とぼくとの出会いだ。彼の脇の下の温かさ。彼の舌ざわり。しっぽを振って喜んでいる様子。遊んで。遊んで。アピールしてくる。こっちがなにもしないでいると、その小さな手を、ぼくに置いてくる。遊んで? それでもなにもしないでいると、体当たりしてくる。脇の下をコショコショしてやると大はしゃぎして動き回る。あぁ、犬だ。犬っていいな。温かいな。心を通わせるってこういうことなんだ。わたしは犬を通じてそんなことをぼんやりと感じた。大好きだよ。犬。もう会えなくなって20年以上経つ。今でも忘れられないくらい。彼を今でもよく思い出す。それは彼がぼくに与えてくれた温もり。ありがとう。ほんとうに。ぼくを作ったのはまぎれもなくキミだ。

幸せになるには順番がある。現実と心。心を先に明るくする。心が満たされて初めて、現実が好転する。現実がかわってゆく。まず満たすべきは心。その先に目に見える幸せがやってくる。鴨頭嘉人氏のモーニングセミナーの動画を見て。その当たり前すぎる話に圧倒された。当たり前すぎる。でも当たり前だからこそ忘れてしまう。忘れてしまい、最も難しいそれとなっている。そのことに気付かされた。心を満たす。そして現実が上手くいく。わかっている。だからぼくは、心を満たす方法を知っている。自分に正直に生きることだ。やりたいことをやる。好きなことを好きだという。心と行動を一致させる。それだ。やりたいことをやればいい。もちろん全部は難しい。例えば休みの日に朝寝坊をする。これもやりたい事だ。やればいい。そのうえで無駄に時間を過ごした〜なんて思わなければいい。そんなことを思ってしまうからぼくは朝寝坊は1時間くらいで切り上げる。ほんの少し。あ、食事に似てるね。年を取ると、美味しいものをおなかいっぱいよりも。美味しいものを少しずつたくさんのほうがいい。おなかいっぱいじゃなくて、腹八分目。それが幸せ。

タイトル回収せねば。人は不幸であると言う前提で、人は上手くいかないという前提で話を進めた方が波風が立たない。大人になるとあらゆることを曖昧にする。ほとんどにおいて、上手くいってないからだ。だよね?上手くいってないよね?仕事もだめ、家庭もそれなり。お金も貯まらない。生活ギリギリ。だよね?きみもそうだよね? だから話せる。だから気を許せる。そうやって低い方に合わせて生きていくのだ。それが社会人の常識。好きか嫌いかではなく、そういうもの。その考えに反するものは、マナー違反。お金を持っていることを前提にする、仕事が上手くいっている、昇進した、給料がアップした。それを前提にする。夫婦仲もバッチリ。毎週デートしています♡ という設定を前提にしたと仮定しよう。その前提で話をするととたんに、無理してない?とか、建前だよね?とか、嘘っぽくなる。それか、うさんくさくなる。人生はうまくいかないのが前提だからだ。そうでない話はすべてうさんくさい。なんでもうまくいくのならみんな幸せになってる。なってない。だからその話は嘘だ。うさんくさい。こうなる。

幸せになりたいはずなのに、幸せをもっとも疑っている。幸せになれるはずがない。そう思っている。だから幸せじゃないじぶんに安心する。幸せじゃないのが当たり前だから。幸せなひとは、おかしい。勘違いじゃないのか?幸せになれるなんて、有り得ない。だから、幸せの話はすべて。うさんくさい。日本人の8割はこう思っている。だから幸せになれない。

幸せじゃないことを認め合うことは楽だ。しかもすぐに得ることが出来る共通意識だ。だから共感できるという幸せを手っ取り早く得ることが出来る。ここに日本人の幸せを見る事が出来る。

幸せになろうとする人は、代償を払わされる。
幸せになろうとしなければ、代償を払わなくていい。
不幸の共感という幸せは代償を求められない。
その幸せを分かち合える人がいれば。
それを友達と呼んでいるんじゃないだろうか。

ぼくには友達がいない。
喜怒哀楽を共有したくない。
悲しみを分け合い
楽しみを共感し合える家族がいれば
それでいい。犬がぼくに与えてくれたように。

人生を共に歩んでくれるパートナーが素晴らしいのは、じぶんの横に立って同じ時を過ごし、
同じように年を取ってくれるからだ。
世界中に色んな人がいるのに、同じ時を過ごしてくれる人、となれば家族以外にいない。
両親は違う。兄弟姉妹は?ある程度近いだろう。でも。それぞれに家庭をもてばやはり異なった時間がある。やはり自分と同じ時間を過ごしてくれるパートナーがいい。それを得るためならばどんな苦労をしてもいい。1度限りの人生を、横で記録してくれる相手を求めることは、人生で最も大切なミッションだと私は思う。極論を言えばそれ以外は全てどうでもいいくらいに。

いや。まてよ?それでいいと思っていたわたしはそれだけで満足出来なくて、友達というものを体験したくて。わたしはエオルゼアデビューしたんだっけ。そうだ。 彼ら彼女らはわたしの。友達だ。

MUSICAでした...♪*゚

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